suu3.jp 戻る

summary

日本人はなぜ日本のことを知らないのか (PHP新書)

日本人はなぜ日本のことを知らないのか (PHP新書)の写真

・ヤマト王権がやがて日本列島の大部分を統治する大和朝廷となり、以来、現在にいたるまで王朝の交代がないことは、考古学界でも共通した認識になっているので短く見積もって1800年ある(p12)

・かつての4大文明は学問の世界では完全に否定されていて、考古学の成果により、同条件を満たす地域がいくつもあることが発見されている(p19)

・日本の歴史の教科書に登場する最初の天皇は、33代推古天皇であった、豪族同士の争いから初代天皇に即位するような書きぶり(p25)

・教科書は、古墳時代までが考古学で、飛鳥時代になると突然、歴史学で歴史を語り始める構造になっていて、古墳時代から飛鳥時代へのつながりが不自然になっている(p28)

・建国記念日を制定する法案は9回も廃案となり、最後には「建国記念の日」とすることで、反対していた社会党との折り合いがついた、「の」を入れることで、「日本が建国したという事実を祝う」との解釈も可能となったため(p31)

・2月11日が建国記念の日である根拠は、初代天皇の神武天皇の即位の日(紀元前660年元旦)であるから(p32)

・1300年前の政府が、そのように理解して正史に書き記した以上、それを政党として扱うのは当然である(p35)

・古墳時代から現在まで、天皇の任命なくして太政大臣、関白、将軍、内閣総理大臣等、政治の最終責任者の地位になった人は一人もいない、統治機構が変わっても国家の連続性は途切れていない(p45)

・古事記、日本書紀ともに国家が編纂した公式な歴史書である、日本書紀が正史とされ、古事記は正史に準ずる歴史書である、日本書紀は41代持統天皇まで、続日本書紀は、50代桓武天皇までの記述がある(p46)

・日本にとって最も重要な祝日である「建国記念の日」「勤労感謝の日(新嘗祭)」「天皇誕生日」がいずれも日本書紀を根拠にしているので、聖書が欧米社会、コーランがイスラム社会の基礎と同様に日本書紀は日本社会の基礎(p56)

・日本国憲法は、大日本帝国憲法の秩序のなかで成立したもので、その成立根拠は帝国憲法である(p59)

・日本は明治22年にはじめて成文憲法を持ったが、それ以前は成文憲法がなくても不文憲法があったはず、その中心は「日本書紀」である(p61)

・弥生時代の環濠集落が消えて巨大古墳が作られるようになのは、防衛施設が不要になった結果で、その背景には戦乱の世が終わり平和な世の中が訪れたことが影響している(p84)

・日本がなぜ話し合いで列島統一が可能であったかは、宗教弾圧をしなかったから(p112)

・中国王朝は、朝貢しない国に対しては、肯定に徳が無いためではなく、皇帝の徳を理解できない夷荻の側の問題であると切り捨てる、朝貢しない国を「化外の国」と呼んだ(p123)

・清代において、インド以東で清の柵封体制に入らなかったのは、ムガール帝国と日本のみ(p155)

・国際法によれば、国家成立の要件は、1)一定の国土、2)国民がいる、3)実効的政府あり、4)外交能力を持つ、の4点である(p161)

・日本で生まれた島の順序、淡路島、四国、隠岐諸島、九州、壱岐島、対馬、佐渡島、そして本州の8つである、これを大八島国という(p176)

・土器が使われるようになると、煮る・蒸す・炊くといった調理法に加えて、汁物の料理が可能になり、木の実のあく抜きも可能、効率よく栄養が摂取でき、貯蔵も可能になった(p180)

・7世紀になると古墳が作られなくなる理由として、646年に「大火の薄葬令」がだされて、豪族たちの巨大古墳造営が制限された、そして古墳よりも氏寺を建てるようになった、天皇の古墳も50メートル程度のものになった(p215)

・仁徳天皇は、「聖帝」と称えられ、歴代天皇が規範にすべき天皇像とされてきて、現在の皇室にも受け継がれている(p223)

・608年の第三次遣隋使において、天子の用語は使えないし、倭国王も使いたくなかったので、考え出されたのが「天皇」である、「東の天皇、つつしみて西の皇帝に白す」という文面が使われ、柵封体制からの独立を黙認させた(p228)

・702年の遣唐使は、我が国が対外的に最初に「日本」という国号を称した(p232)