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summary

なぜ米国はイランに負けたのか

なぜ米国はイランに負けたのかの写真

本書は、米国とイスラエルが圧倒的な軍事力を持ちながら、なぜイランを屈服させることができなかったのかを、軍事、政治、エネルギー、文化の各側面から分析したものである。著者の中心的な見方は、米国側が最新鋭兵器による短期決戦を想定したのに対し、イランは長年準備してきた非対称戦略によって持久戦に持ち込み、米国社会の弱点であるエネルギー価格と世論に圧力をかけた、というものである。
日本にとって、イラン情勢は遠い中東の問題ではない。日本経済はペルシャ湾からの原油の安定供給に大きく依存しており、大産油国であるイランは、湾の出口に位置するホルムズ海峡を封鎖できる地政学的位置を持つ。著者は、日本の経済的繁栄を維持するうえでも、日本とイランの良好な関係が重要だと指摘する。その歴史的な象徴として、1953年に出光興産の日章丸が英国の海上封鎖をくぐってイラン原油を輸入した日章丸事件を挙げている(P5、P188)。
米国とイランの対立を理解する比喩として、著者は、トランプ大統領が「ポーカー」を行い、イラン側が「チェス」を指していると表現する。トランプ大統領の交渉は、予測不可能性、直感、はったりを駆使した短期決戦型であり、最初に過大な要求を突きつけて相手の譲歩を引き出そうとする。一方、イラン側は、一手一手を理詰めで考える持久戦型である。そのため、両者は異なる規則で同じゲームを行い、相手の意図を読み違えた。イラン社会には「目には目を、歯には歯を」という相互主義的発想があり、米国側の高圧的な要求を単なる交渉上の駆け引きではなく、実際の敵意として受け止めたと著者は見る(P6)。
米国とイスラエルは、最高指導者を排除すれば革命体制が崩壊すると想定したが、著者によれば、この判断はイランの権力構造に対する誤解に基づいていた。イランは最高指導者一人にすべての権限が集中する単純な独裁体制ではなく、政治、宗教、軍事、官僚組織が複雑に結びついている。そのため、一人を排除しても体制全体の崩壊には直結しなかったとされる(P10)。1979年のイスラム革命後に創設された革命防衛隊も、国軍の監視、体制防衛、国内治安の維持を担う重要な組織である(P47)。
軍事面でイランが選択したのは、米国と同種の兵器をそろえて正面から戦う対称戦略ではなく、相手の弱点を突く非対称戦略であった。軍事力に大差がある場合、弱者が強者の最新兵器に正面から挑めば勝ち目は乏しい。そこでイランは、安価な弾道ミサイル、ドローン、小型高速艇、機雷などを大量に運用し、米国側の高価な迎撃兵器と限られた在庫を消耗させる戦術を採用した。著者は、米国とイスラエルの兵器は高性能であっても、長期戦に必要な在庫量が不足しているとイラン側が見抜いていたと分析する(P13)。
米国のハイテク兵器は短期決戦には強いが、高価で補充に時間がかかる。これに対して、イランの比較的安価なローテク兵器は大量生産しやすく、持久戦に適している。著者は「時間はハイテク兵器よりローテク兵器の味方をする」と述べ、イランが早くからドローン戦の研究と大量生産体制を築いてきたことを重視する(P15)。一発数千万円のイラン製弾道ミサイルを迎撃するため、米軍側が一発約24億円とされるTHAADミサイルを複数発射すれば、攻撃側より防御側の負担がはるかに大きくなる。この費用と在庫の非対称性が、米軍側を消耗させたと著者は説明する(P111)。
米海軍もまた、ロシアや中国との大規模艦隊戦を主に想定して編成されており、ドローンや小型高速艇による飽和攻撃には十分適応できていないとされる。高度なイージス艦であっても、同時多発的に多数のドローンや高速艇が接近すれば、探知能力と迎撃能力には限界がある(P124)。さらに、かつて米海軍全体で16隻あった掃海艇が現在は佐世保を母港とする4隻に減少し、そのうち2隻が中東へ派遣されたという点も、機雷戦への対応力の弱さを示す材料として挙げられている(P127)。
イランは、米国の航空戦力や海軍力と正面から戦えば、戦術的には勝てない。しかし、米国社会が敏感に反応する原油価格、ガソリン価格、戦争への世論に圧力をかければ、戦略的には対抗できる。これが著者のいう非対称戦略の核心である(P18)。イランはホルムズ海峡の封鎖や危険海域宣言を利用して石油価格を上昇させ、トランプ大統領を軍事的ではなく政治的に追い詰めた。著者は、トランプ大統領が実際に戦っていた相手はイランそのものというより、国内の「ガソリン価格」だったと表現する(P80)。
迎撃ミサイルの在庫が減少し、米軍基地の防衛や限定的な上陸作戦が困難になる一方で、原油価格高騰の影響が拡大した。その結果、トランプ政権は次第に行動の自由を失い、軍事的選択肢も政治的選択肢も狭まっていったと著者は分析する。戦争開始から一か月もたたない時点で、イラン側が交渉を拒否しているにもかかわらず、米国側が「協議は順調に進んでいる」と発信したことは、米国側の苦境を示すものとされる(P75)。パキスタンによる仲介提案は、発電所攻撃によってイランの報復を招くよりも、交渉によってホルムズ海峡を開放し、原油価格を下げたい米国にとって救いになったと著者は見る(P77)。
文化的な認識の違いも対立を深めた。イランでは最高指導者は革命体制の頂点に立つ、宗教的・政治的に極めて重い存在である。トランプ大統領が最高指導者を一般的な交渉相手のように扱ったことは、多くのイラン国民にとって体制への侮辱と受け止められたとされる(P103)。また、イランでは大学生の六割以上が理系を専攻し、知的エリートには技術者的、合理的な思考をする人材が多いと著者は指摘する。それが、長期的に選択肢を読み、チェスのように戦略を組み立てる姿勢につながっているという(P51)。
エネルギー面では、イランは豊富な天然ガスを持ちながら、液化天然ガスを製造する高度なプラント技術を欠くため、パイプライン以外で大規模輸出できないという制約も抱える。LNG製造の核心技術が米国などによって管理されていることが、イランの輸出力を抑えていると著者は説明する(P166)。一方、湾岸協力会議諸国は、米軍基地を受け入れ、米国債購入や米企業への投資を行う代わりに、米国の軍事力による安全保障を期待してきた。しかし今回の戦争によって、米国が「用心棒」として必ずしも機能しないことが明らかになり、中東における米国基地と安全保障の意味が改めて問われている(P172)。
核問題について著者は、ウラン濃縮は初期段階に多くの時間を要し、濃縮度が20%を超えると90%までの工程が急速に進むと説明する。そのため、イランが濃縮度を4.5%まで引き上げたことは、核兵器製造の一歩手前に近づいたことを意味すると論じる(P201)。ただし、これは核開発能力と意図をめぐる著者の評価であり、技術的可能性と実際の核兵器製造決定は区別して読む必要がある。
本書が描く「米国の敗北」とは、米軍が戦場で完全に撃破されたという意味ではない。米国は戦術的な軍事力では優位にありながら、イランの体制構造、文化、持久戦能力、非対称戦略を十分に理解できず、原油価格、兵器在庫、国内世論という弱点を突かれた。その結果、戦争目的を達成できず、交渉と撤退の選択を迫られたという戦略的敗北である。著者はこの戦争を、兵器の性能だけでは戦争の勝敗は決まらず、相手国の社会構造、文化、資源、時間軸を理解することが不可欠であるという事例として提示している。