・昭和30年11月に、旧自由党と旧民主党が合併して自由民主党が結成された(p21)
・社会党は村山委員長が首相に就任するにあたり、結党以来のスローガンである「日米安保反対」「自衛隊は違憲」「国旗掲揚反対」を撤回してしまい、存在理由をなくした(p26)
・平和条約とは、それまでの紛争をすべてご破算にして、その争いについては問題しないことを意味する、一度締結されたら過去の問題は蒸し返さないのが当たり前(p29)
・日本は蒋介石政権とサンフランシスコ条約の1年後に、日華平和条約を締結、東京裁判に関する条項を問題にしていない(p31)
・民主党は危険な団体を抱えている、例として、日教組・公労協・朝鮮総連・韓国居留民団・部落解放同盟等である(p42)
・1888年、陸奥宗光とメキシコの間において、初めての平等条約が結ばれた、日墨修好通商条約である(p53)
・昭和天皇も、大東亜戦争の遠因は、アメリカの対日移民政策であり、近因は石油禁輸であると判断している(p59)
・黒人の参政権は1956年から認められているが、投票に関しては「文盲テスト」があり除外された人が多かった、そのテストが廃止された1971年が実質の投票権獲得となる(p64)
・アフガニスタンは侵略を試みたモンゴル帝国(13世紀)、ムガール帝国(18世紀)、大英帝国(1838~1919)、ソ連による侵攻(1979~89)も失敗、成功したのは紀元前4世紀のアレキサンダー大王のみ(p72)
・アメリカの金融機関はリスクを避けるため、ローンを債券にして証券・保険会社に売り払ってしまう、だから気軽に貸すことができた(p81)
・ノーベル経済学賞は、ノーベル財団が賞金をだしているものとは異なって、スウェーデン中央銀行が出しているもので、名称は「ノーベルを記念した経済学におけるスウェーデン中央銀行賞」である(p82)
・岩倉使節団が欧州で見てきたものは、富国強兵をしないと欧米諸国の植民地にされてしまうということ、有色人種の国で植民地になっていなかったのは、トルコ・エチオピア・タイのみ(p86)
・明治政府の調べでは、当時あった藩の8割の244藩で、藩札を発行していた(p95)
・第一次世界大戦が終わって、欧米諸国が意見統一ができたのは、「自由貿易をやめたこと」であった、その反省から作られたのがブレトンウッズ体制(1944年7月)である(p96)
・アメリカの州、郡、都市が出している地方債を保証しているのがモノライン、これがCDSのせいで破綻すると懸念されている(p99)
・現在日本のみが円高でいられるのは、世界の先進国でありながら、製造業を手放さなかったことが一番の原因(p103)
・日本がアメリカと核をシェア(ニュークレア・シェアリング)しても地球の危機が増えることはない、むしろ核の空白が無くなって安全性が高まる(p127)
・日米安保条約の基盤が揺るぎだした最大にして唯一の理由は、中国の開放経済である(p133)
・世界で悪口を言われ続けたスペインと、ユダヤ人に感謝されたイギリスの差は、ユダヤ人をどう処遇したかによる(p153)
・日露戦争時に必要だった公債の残り半分をユダヤ人のシフが引き
受けてくれたのは、当時ロシアはユダヤ人虐殺を行っていたことにも起因する(p157)
・日本は大東亜戦争においてユダヤ人を拘束しなかった、これを東京裁判で述べていたら裁判の根底は崩れた、この裁判はドイツでのニュルンベルク裁判(テーマはナチスのユダヤ人大虐殺を裁く)が同時に行っていたから(p163)
・日中戦争時に三国同盟を結んでいたドイツは中国へ武器輸出を続けた、中国のレアメタル(タングステン)とバーター取引をしていた(p189)
・リットン報告書は、満州における権益は、日清・日露戦争に由来する、その権益が侵されたので満州事変は勃発したと見るべき(p206)
・日本はと東京裁判を受諾して国際社会に復帰したのではなく、サンフランシスコ平和条約を締結して復帰した(p233)