・歴史を学ぶことは、日本を外からよりよく見る、つまり、あなた自身をよく理解するための手助けになる。(p3)
・中国とは、時代によって意味する大きさ(土地の広さ)が全然違う。その時々の皇帝の血筋、支配階級の出身、言葉も異なる。中国史を考える上では特に気を付ける必要がある(p18)
・力で抑えつけられていた宗主国を跳ね返すためのイデオロギーがマルクス主義であり、それが正しいか間違っているかは問題ではない(p24)
・毛沢東は考えた末に、日本を消すためにイギリスを選んだ。イギリスなら中国の面子も少しは立つというわけ。屈辱の時代はアヘン戦争から始まるとした。本当は、日清戦争に負けて本格的な近代化が訪れた(p38)
・清皇帝はお金がいっぱいあって豊かだったので、国民に対して厳しい支配が不要であった、なので人口も1億から4億へ増えた(p41)
・キリスト教の教義は、キリスト教徒ではない祖先は地獄に落ちるというもの。祖先が大事な人々なので、中国人にとっては困る(p43)
・儒教とは、科挙試験に合格するため、経典を諳んじるために必須なだけで、宗教として信じているものではなかった(p45)
・満州もモンゴルも、大東亜戦争の終戦まで、アヘンが通貨となっていた。軍隊もアヘンで給料をもらっていた。軽くて高価なアヘンはどこへ行っても品物と換えられた(p46)
・アヘン戦争に敗れた後も、清朝は、モンゴル・チベット・ウイグルを管轄している、理藩院というお役所で、イギリス・フランスを朝貢国として管轄することにした(p47)
・圧倒的に虐げられている人達が革命を起こすことは絶対に無理で、革命はセカンドクラスが起こすもの(p52)
・アヘン戦争よりも、1857年に清朝と、イギリスフランス連合軍との間で起こったアロー号事件(第二次アヘン戦争:1860)の方が清朝にとっては大きな事件であった。イギリスが、北の方まで攻めてきたので(p54)
・科挙を中途で落ちた人が商人になるとは、漢字が使える人が商人になったということ(p56)
・日本人が歴史を学ぶときに、10世紀から始まっていた「纏足」を、なぜか清朝の時代で学ぶ。纏足は地方の慣習のようなもので、明の時代は軍人の家族はしない、外国人もイスラム教徒もしない(p69)
・中国語の「臣」には、もともと奴隷という意味がある。皇帝(国)に何もかも捧げて、自分をなくした「臣」という意味(p75)
・中国の歴史には基本的に2つの流れあり、北族(4分の3占める)と南族がある(p76)
・太平天国を鎮圧した勢力がのちの軍閥へと成長する、自警団が発展して義勇軍「郷勇」「郷団」となる。地方の税金は中央から派遣された知事が集めて中央に送るシステムであったが、自警団の軍隊が税金の徴収権を握ったのが軍閥の始まり(p81)
・以上により、清朝政府からみて、満州大臣の言い分より、漢人将軍の言い分を聞かなければいけなくなり、力が逆転した(p81)
・日清戦争では日本は国民軍ですが、清国側は李鴻章の私兵が戦ったと考えれば良い。これば日本と清国の勝敗を分けた。ナポレオン軍と欧州諸国の傭兵との戦いのようなもの(p99)
・中国人が日本に買い物に来て欲しがるものは、化粧品とIC炊飯器。ブランド品は見た目そっくりに作れるが、日本の化粧品は使えば、それが本物か偽物かがわかる。成分は見えない。炊飯器も中のセンサー機能は真似できない(p102)
・中国人は目に見えるものしか評価できない、こうなったのは、根本にモノをつくるのは下々の者がすることだという儒教の考えがある、偉い人は労働しないで頭を使う(p102)
・清仏戦争で敗れた清国は、ベトナムの宗主権を放棄させられた、清朝は日本に取られる前に朝鮮を取らなければというのが、日清戦争の大きな原因(p115)
・朝鮮は13世紀には、羊も牛乳も肉も車もあった、モンゴルを通して世界各地からモノが入ってきた。李氏朝鮮になったら貨幣経済がなくなって、時代が逆行した(p119)
・いまでは日露戦争が日本の存亡の危機と言われているが、日清戦争の時の方が日本は怖かった(p147)
・中国は日本に2億両という賠償金を払うために、外国から多額の借款を受けた。フランスの銀行から借りるために、ロシアに口を利いてもらって、それで遼東半島南部をロシアに取られた(p156)
・フランス革命の時もそうだが、本当に貧乏な人には反乱はできない(p165)
・義和団の乱の責任者の処罰や賠償を清国は全部受けざるを得なかった。賠償金は10年分が科せられて、名目上4.5億両、利子を入れると倍以上の9.8億両となった。これにより外国の勢力が強くなった。中国にとっての近現代史のスタートは、義和団の乱である(p175)
・義和団事変の最中にロシアは満州をすべて占領した、それで慌てたイギリスが日英同盟を結んで、満州を清朝に返せとロシアに圧力をかけた(p185)
・日露戦争は、列強の代理戦争、イギリス・アメリカが日本について、ロシアが出てくると困るといって戦争をさせった(p186)
・中国人は同じ話し言葉の人達と取引をする、十何軒並んでいてもかれら同士はギルドのような組合を作っているだけで、それぞれの商売相手は違う中国人である(p191)
・辛亥革命当時はまだ共通語がなくて、革命を起こした地方軍の長官たちは、お互いに日本語で連絡をしあった(p204)
・1915年に日本は対華21箇条の要求を出した、日本が日露戦争で勝ってロシアから引き継いだ権利等、清国と結んだ条約を、中華民国に認めさせようとした(p219)
・辛亥革命で独立を宣言した革命政府は、土地の者ではないからと、外省出身の官僚を全員追い出した。完全な地方分権となった(p226)
・読書人とは、古典の漢籍を読む人のこと、知識人とは、新しい思想にかぶれた人たち(p233)
・現代の中華人民共和国は、5・4運動を中国近代化のスタートとしている。なので、1989.6.4に起きた、天安門事件の場合は、1か月後の 6.4に軍隊を入れた(p237)
・辛亥革命のときに、孫文はアメリカにいた(p272)
・北京は、明代に「ペキン」と南の方言で読んだので、そのまま使われてい(p203)
・盧溝橋事件で始まったのは、日中戦争ではなく支那事変である。宣戦布告をしていないから。戦争になるのは、真珠湾攻撃の後に、宣戦布告をしてから(p318)
・アメリカは国民党と手を切ると言ったので、ついに中国はずしを発表した(p332)