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summary

戦後経済史 私たちはどこで間違えたのか

戦後経済史 私たちはどこで間違えたのかの写真

・1942年に食糧管理法を制定し、小作人は地主にでなく、国に米を供出し、地主にはその代金の一部を小作料として払うことになった、これにより物納性であった小作料が金納制に転換した、こうして江戸時代から変わらなった日本の農村が変貌した(p10、11)

・1936年に、日本の自動車生産はビック3に支配されていたが、この状態を変えるために、自動車製造事業法を制定、自動車関税を引き上げて、自動車製造を許可制とした(p12)

・戦後日本の大企業の多くは戦時中に政府の手で作られたり、軍需で急成長した企業、純粋な戦後生まれの企業は、ソニーとホンダのみ(p13)

・1945年8月に日本の政治・経済・社会体制に大きな断絶があったのではなく、本当の断絶は1940年頃にあった(p15)

・商工省は占領下でほとんど無傷で存続できた、名称を通商産業省と改めて、民間企業に対して勢威をふるうことになる(p24)

・占領軍は、日本で使うための軍票を日本本土で使うのをあきらめ、それを積んだ船は沖縄に向かった、1952年に本土占領が終わった後も、法定通貨となったB円は58年にドルに切り替わるまで使われる(p25)

・内務省は、建設省・労働省・地方自治庁・国家公安委員会に分割されたが、警察側の抵抗により、自治体警察を統括する警察庁が中央官庁として残った(p25)

・1946年の「第二次農地改革法」は、農地調整法改正と、自作農創設特別措置法として実行に移された、これにより、不在地主の全ての貸付地および在村地主の貸付地のうち、一定面積を越える農地を政府が強制的に買い上げ、小作人に売り渡す内容であった、これにより大地主たちは土地を失った(p32)

・1937年の臨時資金調整法、40年の銀行等資金運用令、42年の金融統制団体令等により、直接金融から間接金融へと転換した、38年の国家総動員令で、株主配当も制限した、このため株価は低迷して、企業の資金調達は銀行に頼らざるを得なくなった(p33)

・戦前の日本でも労働組合は産業別であったが、戦後生まれのものは、企業別である。38年にできた「産業報国連盟」40年に全国団体として、大日本産業報国会が結成、これは労使の懇談と福利厚生を目的として、事業所別に作られ、労使双方が参加、内務省の指導により急速に普及した。会社と運命共同体で協調して企業を成長させるためのもの(p34、35)

・間接金融中心のシステムと、政府による金融機関融資統制システムを全国に活用することで、戦後になって対象を、軍需産業から基幹産業に変えて利用した(p41、73)

・傾斜生産方式は、インフレを引き起こした、そのため新円に切り替えざるを得なくなった、高率インフレは多額の金融資産・不動産を所有する地主、富裕層に大きな被害を与えた(p43)

・農地改革、借地法・借家法の改正(地主は一方的に賃料改定できない、契約の解約も正当事由が無い限り不可)、インフレ、財産税により、日本の地主階級と富裕層は没落した(p44)

・40年4月の税制改正では、給与所得の源泉徴収制度が導入された、このときに法人税が独立の税となり、所得税・法人税という二つの直接税を中心とした税体系となった、地方は独自に徴税する形から、補助金・交付金により補填する形になった、今も続いている(p50)

・青色申告制度は、零細自営業者について、実態は個人業者であっても法人と同じような税制上の扱いを認めるもの、これは零細事業者の不満を和らげるために導入された(p51)

・道路の整備において一般道である国道と地方税は一般会計が行うが、有料道路は財政投融資でおこなう、こうして財投との絶妙な組み合わせにより、国債発行にたよらない小さな政府ができた(p113)

・各国のファンダメンタルズ(経済の基礎的条件)が異なれば為替レートが変動するのは当然、ユーロは異なったファンダメンタルズを持った国々の通貨を一つに統合してしまった(p166)

・世界経済が成長して、必要とされる通貨量が増えていったのにもかかわらず通貨価値の指標とされた金はわずかしか流通しない、ドルと金との兌換が停止されて、金本位制が崩壊した真の原因はここにある(p167)

・高度利用を阻んでいる制度(借地法、借家法による借地権や借家権・固定資産税や相続税が低い、土地評価額が時価に比べて低い)が、地価を高騰させている原因(p225)

・総量規制は出されたが、大手銀行の子会社である住専は対象外だったので、地価の上昇は続いた(p235)

・長銀、日債銀の後処理は合計で40兆円の公的資金が投入されたが、一般会計で処理されず、預金保険制度を運用する預金保険機構を用いたので、公的資金投入時には、そのうちどれだけが国民負担になるかわからないので、強烈な拒否反応は生じなかった。5年後の2003年になって、40兆円のうち10兆円が返済不能で国民負担となった、と判明したが、多くの人は忘れていた、それ以外に銀行自ら損失計上した、92‐06年までで97兆円(p251、253)

・日本銀行が購入している国債が値下がりした場合は、損失額は国民負担となるが、そのことは問題として議論されていない(p256)

・中国政府は、1979年に、深圳・珠海・スワトウ・アモイに経済特区、84年に、上海・天津・広州・大連等に経済技術開発区を設置した(p276)

・福島第一原発事故の際、原子炉に注水するために、「大キリン」という巨大クレーンが登場した、中国建機メーカ「三一重工」の製品であった、日本では作れないものが中国で生産されている、これは報道されていない(p279)

・80年代において日本のPC市場は国内メーカの生産で占められていた、これは垂直統合方式であったが、水平分業が広がると対応できず、短期間のうちにシェアを落とした(p282)

・先進国がめざすべき道は、労働コストで決まる製造過程でコスト引き下げ競争を行うことではなく、開発・研究という付加価値が高い分野に特化して中国企業とすみ分けること(p284)

・製造業に危機が及んだので、メーカから政府に対してあからさまな補助要請が行われた、エコカー制度・地上波デジタル放送の強制移行、雇用調整助成金の支給額引き上げ(p303)