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summary

東京の地理と地名がわかる事典

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・武蔵は漢字二文字だが、万葉集では「牟射志」と3文字であった、それが律令時代の713年に発布された「二字好字令」によって、地名はすべて二字に統一された(p12)

・明治になるまで、古代律令制によって成立した五畿七道が日本の行政区分であった、五畿とは、山城・大和・河内・和泉・摂津のことで、畿内とも言った。七道とは、東山道・東海道・北陸道・山陽道・山陰道・南海道・西海道の七道で、これを63か国に区分していた、幹線道路の名称でもある(p10、13)

・上野国の新田駅から南下して、武蔵の国府(府中市)へ通じる道が、東山道武蔵路である、そして同じ道を北上して足利、そして下野国の国府(栃木)へ向かう、武蔵国が東山道に属していたために遠回りが必要であったので、771年に武蔵国を東海道へ移管した(p16)

・江戸の70%は武家地、15%が寺社地、町人地はわずか15%に過ぎない、現在の23区のおよそ3%に、1678の町がひしめき合っていて、今の人口密度の4倍以上の6万人であった(p30)

・1868年7月1日に、江戸府が設置されたが、その2か月後、東京府に改称された。1869年に明治天皇が京都から東京へ移ったので、東京が事実上の首都になった。1871年に戸籍法ができ身分制度が廃止されて、武家・寺社・町人地の区別がなくなり全体を東京府が管轄した(p64)

・大区小区制に代わって登場したのが、1878年に制定された「郡区町村編成法」、郡と区には官選による郡長と区長を選任、郡の下の町村には民選による戸長を置いて、一定の地方自治を認めた、これにより11大区103小区から、15区6郡となった、これ以外に区がおけたのは、京都の2区、大阪の4区のみ(p67)

・東京府に成立した85町村のほとんどは村で、町になったのはわずか9町(宿場町の内藤新宿、板橋、千住、新宿(にいじゅく)及び、品川・淀橋・巣鴨・岩渕・南千住)(p71)

・1932年に東京都は周辺の5郡(荏原、豊多摩、北豊島、南足立、南葛飾)82町村を編入し、そこに20区を新設した、それまでの15区と合わせて35区からなる大東京市が誕生した、2回目の国勢調査で大阪市に抜かれて以来、日本一の大都市に返り咲いた(p72)

・東京府と東京市の二重行政を一元化し、軍事体制を強化するのが「都制」の最大の目的であった。国と都が直結したことで、東京都の予算の多くが軍事費に拠出されるようになった。しかし敗戦後1947年には、地方自治法が施行され、それまでの軍制による東京都は廃止、地方自治法に基づく普通公共団体としての東京都が設置された、官選による東京都長官は公選による都知事になり自治権が復活した(p76)

・地方自治法では、23特別区を市町村と同等の自治権を有する「基礎的な地方公共団体」と規定していて、大阪等の大都市にある行政区とは異なる。行政区は、市の下部組織に過ぎず、区議会議員も存在しない、東京23区はそれぞれ独立した自治権をもった23市の集合体である(p78)

・合併対象になったのは、旧東京市の15区、15区に隣接する人口減少の激しい9区で、合計24区が統合されて11区になり、そのまま存続した11区と合わせて22区となった、板橋区は分割されて、練馬区が独立して合計23区となった(p80)

・北多摩郡は1970年に武蔵村山市になって消滅、南多摩郡も1971年に稲城・多摩市になり消滅したので、西多摩郡がのこっている。東多摩郡は東京府の管轄、残りは神奈川県が管轄。東多摩郡(中野、杉並)は南豊島郡(淀橋、渋谷)と合併して豊多摩郡となり東京市に編入(p88)

・1965年の889万をピークに人口は減少し続け、1995年には800万以下となった、バブル崩壊により都心回帰となり、2015年には923万人となった(p96)

・東京は思いのほか起伏が多い、地形が複雑である。大きく分けると台地と低地からなる、23区の東半分が下町低地、西側が武蔵野台地、その西が多摩丘陵、関東山地となる(p121)

・東京に坂が多いのは、河川の浸食によって形成された谷底平野が、武蔵野台地に複雑に刻まれているから、この台地と谷の高低差に坂が生まれる。武蔵野台地の東端には、上野台・本郷台・豊島台・淀橋台・目黒台・荏原台・久が原台(総称して山の手台地)、文京区・新宿区・千代田区・港区には坂が多い、都内だけで3000以上と言われている(p122)

・山手線は、東京・有楽町・浜松町・品川は、ほぼ海抜0メートル、五反田8m、目黒29m、渋谷15m、原宿32m、新宿37m、池袋33mである(p123)

・銀座は昔は1~4丁目まで、現在の銀座の範囲は、銀座の東側の、木挽町1-8丁目、銀座5-8丁目、銀座西1-8丁目を含む(p163)

・明治時代は東京が日本最大の酪農地帯であった、全国の乳牛頭数の50%以上が東京都心で飼養されていた、中心6区だけでも100か所の牧場、乳牛は3000頭以上いた。(p167)

・観音霊場が33か所なのは、観音菩薩が33の姿に化身して苦しみから救ってくれるという観音信仰から(p204)

・日本一高いビルは、現在は横浜ランドマークタワー(1993,296m)を抜いて2014年に完成した、あべのハルカス(300)であるが、2027年には東京駅前ビル(
390m)が完成する予定(p216)

・品川駅から渋谷、新宿、池袋を通り、田端駅までの20.6kmが正式な山手線の区間で、鉄道建設資材の運搬をする品川線(品川~赤羽)をルーツとしている。品川線開業時には、品川・渋谷・新宿の3駅のみ、2週間後には目黒と目白が開設されて5駅となった(p217)

・東京には、都心・副都心(7か所:新宿、渋谷、池袋、大崎、上野・秋葉原、錦糸町・亀戸、臨海副都心)以外に、「新拠点」という地域もある、品川・羽田・秋葉原である。(p232)