・古文書が読めない書き手が書いた歴史叙述は、情報をどこからかコピーして借りてこないといけないから面白みがなくなってしまう。このようなコピペとフィクションの歴史叙述が巷にあふれている(前書きp3)
・世界は宗教戦争の巷だが、この国にはその風景はない。信長・秀吉時代に武家勢力=天下人が強大化して、宗教勢力が折り合って共存を図ったから。本願寺は秀吉への戦争協力の見返りに、大坂天満での本願寺の維持を許された、籠城できないように塀・堀のない寺にすることで折り合った(p15、17)
・加藤左馬之助嘉明は、豊臣・徳川に仕えた勇将、賤ヶ岳の七本槍の一人で、最後は会津43万石となった(p20)
・四度目の5月25日の大空襲で、皇居は宮殿をほぼ失った、この頃、皇室の男子は全滅を避けるため分散されていた(p48)
・三方ヶ原の戦いにおいて、家康は信長から、九頭(一頭に二千百ずつ=約2万人)に及ぶ援軍をうけていた、その援軍は浜松城、三方ヶ原、岡崎城、吉田城、白須賀にかけて分散配備されていた(p69)
・家康は大坂城を落としてから一か月近く捜索させて、精金1万8000枚、白銀2万4000枚を発見、回収している(p81)
・家康は水戸藩を成立させるにあたり、武田・北条・今川など、かつて敵対し滅亡した戦国大名の家臣を採用した、さながら敗者復活藩となった(p87)
・香道では、お香をかぐことを「聞く」という(p131)
・江戸期の史料をみる限り、婚礼は、1)夜間に、2)自宅で、3)神主の関与なし、で行っていた。神の前で誓いを立てる神前結婚は明治以降につくられたもの(p143)
・江戸時代は、権力者に武力が集中しているだけで、富や知識の面は格差がすくなく、ひろく庶民まで行き渡っていた(p148)
・日本では江戸時代に出された様々な本が、職業知識・礼儀作法・健康知識などのインフラを築いていた、そこが中国や朝鮮と決定的に異なる(p153)
・日本が独立を保ってこられたのは、島国だからではない(フィリピン、スマトラも植民地)、自らの出版文化を持ち、独自の思想と情報の交流が行われていたから(p156)
・新政府が独自の経済基盤を持つには、新政府が金札(紙幣)を発行して、通貨発行権を徳川家から回収してしまうこと(p166)
・鳥羽伏見の戦い、薩長はすんなり勝てると思っていなかった、旧幕府軍の兵力は1万五千と圧倒的、新政府軍は5千、フランス式歩兵が前に出てくれば負ける戦いであった(p170)
・日本人の世界シェアが最高になったのは、元禄時代の5%、卑弥呼の時代(230年)は、0.3%であった。現在は2%程度、西暦2100年には1%を切ると予想されている(p195)
・江戸時代後期(1820)のGDPの推計によれば、アメリカを1とすると、日本は1.75、オランダは0.3、イギリスは2.8である。しかし1850年には、アメリカは日本の2倍に達する(p196)