・三発の原爆の製造に成功したのは、1945.5月であった、原爆製造について学者たちは1940年に5年程度必要と述べているが、正確に予測していた(p26)
・B29に相当するスーパー爆撃機を作るように要求したのは陸軍のアーノルド中将、当時は陸軍の航空部隊が爆撃を行っていた(p28)
・原爆にはおよそ20億ドルが費やされたが、B29の製造には30億ドルかかったと言われている、B29の製造に成功した結果、アメリカは原爆による日本爆撃が実現できるようになった(p29)
・B29はグアム島から3000キロあまり飛んで日本を爆撃した、合計3970機を生産した(p30)
・スミスレポートには、マグネティックの研究がオークリッジで行われたこと、ウランの気体化による濃縮技術の研究、ハンフォードで行われたプルトニウムの精錬方法について書かれている(p41)
・アメリカ人が真珠湾攻撃と日本との戦争について、ドイツとの戦争、つまり白人同士の戦争とは異なる価値観で考えていた(p51)
・アメリカには原爆を使うべきではないという指導者(空軍司令官になるカール将軍、アイゼンハワー大統領、物理学者のアーサー博士等)も多くいた(p61)
・3発の原爆のうち、1発目のトリニティは実験(ニューメキシコの砂漠)で使用、残りはウラン235を使った「リトルボーイ」、プルトニウムを使った「ファットマン」であった(p67)
・投下実験は、爆弾の完成度から、まず砲撃型点火装置の原爆リトルボーイ、そして、爆発型のファットマンを使うことになった(p72)
・1945春までに日本国土は爆撃し尽くされ、人口5万人以上で残されているのは、広島・長崎・小倉・新潟のみ(p79)
・当日の広島は、午前8時、広島のレーダーは侵入してくる米軍機が3機以上でない小規模なので、警報が取り消された(これは私の母親の記憶と同じ)(p81)
・アメリカ陸軍の工兵隊とは、エリートでアメリカ陸軍士官学校のトップ5%から選ばれる、その次の5%が騎兵隊で、戦車部隊や機甲科部隊の幹部となった(p88)
・真珠湾攻撃は軍事基地に限定されていた事にに対して、広島・長崎の原爆投下は無防備な市民を殺傷したことは異なる(p89)
・太平洋戦争以前、アメリカが領土を拡大するために、メキシコやスペインに仕掛けた戦いの殆どが奇襲攻撃で始まった(p91)
・オリンピックは、九州南部に対する上陸作戦で、1945.11.1に発動し、投入するアメリカ兵は82万人弱、「コロネット」は、その5か月後に、東京周辺の海外に対する上陸作戦で、118万人程度の参加の予定であった(p108)
・リトルボーイは、水が入れば爆発、ファットマンは完成した形で運べば一定時間で活性化するので、部品に分けて運ぶしかなかった(p124)
・原爆の部品を運んだアメリカ第5艦隊の旗艦「インディアナポリス」は部品を運び終えた後に、日本の潜水艦伊58により撃沈された(p125)
・日本はアメリカ軍の長距離爆撃機に対する防空態勢を十分にとっていなかった、航空戦は特攻隊だけに頼るという戦術に終始した(p136)
・原爆投下までに、アメリカは日本の人口5万人以上の26都市をすべて爆撃し、10万トン近い爆弾、焼夷弾を落として、50万人以上の市民を殺していた、広島・長崎の死者の合わせて10.5万人の5倍近い数(p140)
・日本陸軍の首脳は、250万人の第一線兵力、400万人の予備役兵、2800万人の国民を招集して戦えると豪語していた(p144)
・アメリカ潜水艦隊は、空母機動艦隊や水上艦艇をはるかにしのぐ力を見せた、288隻の潜水艦で、日本の軍艦を201隻撃沈した、戦艦1、大型空母4、小型空母4、重巡3、軽巡8、駆逐艦43、大型潜水艦23(p153)
・アメリカ軍の作っていた基本戦略で、日本はオレンジ、ドイツは黒、赤がソビエト、ブルーが青(p160)
・1939年、アメリカは3000万バレルの石油を売ったが、これは日本が消費する量の93%、1941年まで売り続けた(p164)
・日本はやみくもに戦線を拡大しながら、物資補給のシーレーンを確保できなかった、そのためボルネオから原産地に向かう輸送部隊が簡単に沈められた(p185)
・3.10の東京大空襲は、1666のロンドン大火、1906のサンフランシスコ地震、ドイツのハンブルク、ドレスデンに対する爆撃をはるかに上回る大きな被害を与えた(p193)
・日本航空隊は、新しい航空機をつくりだしていた、皮肉にもB29に対抗できる飛行機も製造していたが、戦うほうの態勢が整えていなかった(p207)
・福島原発で最も致命的だったのは、「原発は安全だ」という宣伝のもとで、事故が起きたときの訓練を行っていなかった(p249)