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summary

日本 米国 中国 団塊の世代

日本 米国 中国 団塊の世代の写真

・1955年に既に出来ていた日本の戦後コンセプトは、1)日米同盟を基軸として、経済大国軍事小国を目指すという外交コンセプト、2)官僚主導で規格大量生産型の近代工業を築くという経済コンセプト、である(p17)

・第二次世界大戦後の4半世紀、米国は自らの体制と文明を世界に広げるために膨大な資金と人材を投入した(p28)

・サブプライムローン拡大の魔法の杖は、1)証券化、2)90年代から流行したデリバティブ、3)格付機関が投資適格のAマークを与えたこと、である(p37)

・毛沢東が唱えたキャッチフレーズは、「知識のある者ほど思想は古い」であり、紅衛兵の乱暴を唆した(p45)

・社会主義の先輩国家であるソ連の現実は、公有化した土地や企業を管理する高位者が権限を「私有化」、怠惰で豊かな生活を貪る「権力格差の社会」であった(p49)

・貯蓄は国際収支の余剰と投資の合計に等しいので、貯蓄率の高い中国では猛烈な投資が始まった(p52)

・日本経済の重荷として、円高と高齢化である、日本の市場は閉鎖的であり国内の製品価格が円高分だけ下がらないので、不況から回復する2010年には企業に利益が生じる(p58)

・アメリカでは1966年に高校卒業した18歳の若者に徴兵のくじ引きが義務付けられていて、3分の1が徴兵された(p70)

・海軍は陸軍よりも訓練期間はずっと長く、この期間を利用して、良心的徴兵忌避の申請手続き(宗教、信条により戦争参加できないことを申立る制度、クリントン元大統領も利用)をする奥の手があった(p72、84)

・米国において反体制運動に参加していた学生は、必ずしも社会主義者ではなく、資本主義の信奉者もいて、日本の学生運動との違い(p74)

・米国では、今や完全な福祉厚生を提供しているのは、市、郡、州などのパブリックセンター及び学校のみになり、その他の企業では過去20年間でなくなってしまった(p92)

・1959年に毛沢東は一時的に第一線を退いて、劉少奇が国家主席、鄧小平:中国共産党総書記、周恩来:国務院総理、による指導で中国経済は好転した(p121)

・文化大革命によって1966~68年に卒業した中高生:400万人は進学も就職もできずに都市部に残された(p128)

・1976年1月には周恩来死去、そして鄧小平の再失脚、7月には唐山大地震(死傷者40万人)、9月には毛沢東死去、10月には毛沢東の妻等が逮捕されて、文化大革命が完全に収束した(p142)

・1977年には大学入学試験が再開、出身や政治思想、社会的地位によるものから、学力により評価されるようになった(p145)

・明治以降の80年間は常に日本は戦争をしていた、1894年:日清戦争、日露戦争:1904年、第一次世界大戦:1914年、シベリア出兵:1917、第一次山東出兵:1927、満州事変:1931、日中戦争:1937、対米会戦:1941年である(p185)

・今の人口は、多すぎるといって教科書をはじめ、日本中が問題視していた1960年ころよりも3割も多い(p192)

・1964年の外貨持ち出し制限は500ドル:18万円、大卒月給が2~3万円であり、半年以上の収入分である(p196)

・1946年に0.47兆円であったGDPは、28年間で90倍、1968年から40年かけて13倍になった(p197)