・旧暦は明治5年に改暦された、旧暦は立春を新年としていたため、現在の暦とは約1ヶ月のズレが生じている(p22)
・24節気は中国の気候に基づいて名付けられたので日本の気候に合わないので雑節(土用、八十八夜、入梅、半夏生、二百十日等)を取り入れている(p23)
・奈良時代以降は、神仏は同じものであるという「神仏習合」や、神は仏が仮に形を変えて現れたものとする「本地垂迹説」が生まれている(p31)
・鏡餅で大小二つ合わせるのは、月(陰)と日(陽)を表現している(p43)
・お年玉は、年少者や地位の低い人に送るのに対して、「お年賀」は目上の人、お世話になっている人に贈る(p48)
・1:富士、2:鷹、3:茄子、4:綿、5:煙草、といわれるのは、天下を取った駿河出身の徳川家康にあやかりたいという庶民の願望(p50)
・明治時代になって和服から洋服を着るようになったのを機に、6月1日を夏の衣替え、10月1日を冬の衣替えの目安とした(p70)
・丑の日にちなんで、「ウ」のつくもの:ウリ、うなぎ、梅干等を食べると身体に良いと信じられてきた(p72)
・旧暦の8月15日(現在の9月18日頃)は満月にあたり、旧暦では7~9月までが秋であり、8月を「中秋」と呼んでいいたため、中秋の名月と言われた(p76)
・かつては日没を1日の境としていたので、大晦日が暮れるとともに新年となった、除夜の鐘は新年の行事の一部(p82)
・日本の婚姻は時代、身分によって様々な形態があった、「通婚=婿入り婚」は、女性方が公認すると婚姻成立の祝いが女性方で行われた、戦国時代には現代の形の「嫁入り婚」、その中間が「足入れ婚」であり、婚姻成立は婿方で行われるが、女性は自分の生家に戻って暮らす、婿は嫁の生家を訪ねる形をとりながら、嫁と子供が一緒に暮らし始めるもの(p88)
・古くから赤い色には、魔よけの力があると信じられていたので、赤飯が慶事などで出されるようになった(p105)
・七五三は、晴れ着を着せて氏神を祀っている神社でお祓いを受ける行事で、昔は正月の吉日か誕生日に行われた、江戸時代になって徳川綱吉の子供(徳松)の祝いを天和元年11月15日に行ったことが現在に至る(p111)
・通夜において酒食が用意されるのは、清め塩のように、「酒は死のケガレを清める」と信じられている(p151)
・お香典返しは、貰ったお金の半分から三分の一程度で、悲しみを引きずらないように、あとに残らない「お茶、海苔」を返す(p159)
・1周忌の次は三周忌だが、ここからは死去した年も年数に入れるので、三周忌は一周忌の翌年に当たる、鎌倉から室町にかけて、33周忌で永代供養をした(p162)
・大黒天はインドから伝わった神様だが、日本に出てくる「大国主神」と同一視されて、日本の神である「恵比寿様」ど並んで信仰を集めた、中国の神:福禄寿、寿老人、布袋及び、インドの神:大黒天、毘沙門天、弁財天を併せて七福神という(p173)