・綱吉がやったことの意味は、それをした結果、世の中がどのように変化したかを長いスパンで見ることによって初めて見えてくる(p31)
・戦国末期の日本の総石高は1850万石、徳川将軍家はそのうち400万石を支配した、さらに将軍家直属の旗本と譜代大名で300万石、大名で最大は加賀前田家の100万石(p38)
・薩長が行ったのは、商業と工業の振興、それに対して幕府の三大改革は「農業」に力を入れることであった、但し田沼意次は商工業を重視した(p40、43)
・信長、秀吉時代の武士の給料は、「貫高制」といって、基本的にお金で払われていた、土地を与える場合も、その土地で収穫できるお米の平均量を通貨換算していて、税金もお金で納められた(p50)
・朱子学を学ぶと、力で天下を取った将軍家ではなく、万世一系の歴史を持つ天皇こそ、忠誠を尽くすべき王者であるということになる、そこで徳川家が日本を統治する権利を任されているという形にした(p58)
・日本では養子縁組には自分と同じ性しか認めない中国や韓国とは異なっていたので、旗本株の事実上の売買もできた(p63)
・元の国の騎馬軍団の強さは、最下級の兵士までが全員馬に乗っているという点であり、日本の場合の混成軍団と異なる(p73)
・モンゴルが日本のみ征服できなかったのは、彼らの最大の強みを活用できなかったことが最大の理由(p76)
・江戸時代は、戦国時代から科学技術の進歩を基本的にストップした時代であるが、農業生産と平和的な技術に関しては改良が認められていた(p91)
・アメリカはモリソン号事件にあるように、開国の目的が「補給基地としての港の開港と物資提供」であり、日本の国益も考えていたが、それに対して異国船打払い令で対応した(p109)
・佐賀藩の特徴は、身分の上下にかかわりなく優秀であればだれでも藩校で学べるようにした、その結果佐賀藩の科学水準は躍進した(p114)
・憲法17条の凄い(当時から見ればおかしい)ポイントは、1条において「人は皆対等なのだから仲良く話し合う」ということを述べていて、3条(天皇の命令に従え)に優先している(p139)
・出雲大社はアマテラス(伊勢神宮)の孫に日本の統治権を譲った負け組の神様(オオクニヌシ)を祀っているが、その建物が最も高い高さを誇る(p158)
・第一次の弥生人は青銅器を持っていた人で、日本海側を中心に文明を築いた「出雲族」、第二次の弥生人は鉄器を持っていた人で天皇(九州から東へ移動)も含まれる(p168、306)
・平清盛の父親の後妻(池禅尼)に、頼朝を助けるように言われて断ることができなかった、義朝の長男である義平は殺したが(p219)
・関白と摂政の違いは、補佐する相手の天皇が、女性や子供ではなく、立派な成人男子であること(p221)
・源氏物語は、現実の世界では源氏が藤原氏(五摂家:近衛、九条、一条、二条、鷹司は藤原氏)に負けたあとに書かれた、「源氏が藤原氏をやっつけて出世する」というストーリーであり、作者の紫式部は藤原一族、道長も応援している(p227、231、254)
・平家物語が和漢混淆文でかかれているので、リズミカルでわかりやすい、琵琶法師が語ったので文字の読めない庶民にまで広がった、これは鎮魂に役立つ(p250、261)
・識字について「読み書き」が大事であるが、その前に重要なのは、「読み書きできるようになりたい」と思うこと(p264)
・日本が遷都を繰り返さなければならなかった理由は、「天皇の死の穢れからの回避」であった(p282)
・自らの穢れを自覚し、実権を握ることを希望した武士と、押し付ければよいと思った天皇家で利害が一致したので、朝廷と幕府は併存できた(p292)
・死や血を穢れとする文化は、どう考えても狩猟文化(縄文人)ではなく、農耕文化(弥生人)である(p302)
・山本五十六は海軍兵学校を7番という優秀な成績で卒業したエリートであるのに、連合艦隊司令長官という現場へ回された、この立場は作戦自体の是非を問う権利は与えられていなかった(p334)
2011/7/10作成