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summary

井沢元彦の学校では教えてくれない日本史の授業 (2)

井沢元彦の学校では教えてくれない日本史の授業 (2)の写真

・一番北の端に皇帝の宮殿がおかれる理由は、都市を囲む城壁の門が南の端に位置している、この唯一の門を「南大門」という(p19)

・平城京に城壁が無い理由は、必要がなかったから、異民族である遊牧民族がいなかったから(p23)

・農耕民族が遊牧民族に対して持った有効な対抗手段が「城」(p25)

・長州型は弥生人の身体的特徴を持っていて、薩摩型は原日本人である縄文人の身体的特徴を持っている(p31)

・銅鐸は青銅器を持ってきた第一次農耕移民の聖なる信仰の道具、彼らが鉄器を持つ第二次農耕移民に征服されたことで、信仰の道具として使われなくなった(p45)

・邪馬台国は当時(西暦240年代)には、「やまどこく」という発音になる(p51)

・当時、本名は公文書に署名する場合や、亡くなった後に墓に刻まれるなど、ごく限られた時しか使われなかったし、やたら教えるものでもなかった(p56)

・仁徳天皇陵が「大山陵古墳」と言われるのは、江戸時代の学問水準で決められたあやふやな伝承に基づくため(p71)

・日本に武士が生まれた理由は、権力争いをしていた両者(天皇家、藤原氏)がともに武力を手放したから(p110)

・明治まで北海道に興味がなかったのは、稲作ができなかったから(p111)

・荘園とは、藤原氏が考え出した「脱税システム」、藤原氏は例えば、自分たちの小作人になれば税金を30%で良いとして小作人を集めたと予測される(p116,118)

・日本人が今でも軍隊を嫌う理由として、1)穢れに触れる存在だから、2)平和だと言っていれば維持できるという言霊信仰(p122)

・中央で出世の望みが絶たれた中流貴族が、地方に土着して財産を守るために武技を磨いた結果として誕生したのが武士(p132)

・源氏は農業専門なのに対して、平氏(西日本)は大陸に近いという地の利を生かして水軍と組んだ国際貿易をやっていた点が異なる(p141)

・天皇家の逆襲は、外戚に藤原氏を持たない後三条天皇の第一皇子である白河天皇が退位して上皇の立場から政治をする「院政」(行政機構の外の存在)(p146)

・幕末の人が大政委任と考えたのは、警察権と刑罰権、軍事権を手に入れたこと(p183)

・鎌倉幕府を崩壊させたのは、均分相続(p190)

・乱とは、下の者が上の者に反抗すること、天皇が起こすのは「変」である(p196)

・日蓮宗は「妙法蓮華経」という「お経」+日蓮という人を信じるもの、他は仏様に対する信仰(p272)

・天照大神は大日如来、八幡様と熊野権権は阿弥陀如来、愛宕権現は地蔵菩薩、素戔嗚尊は薬師如来、大国主命は大黒様と同一とされた、これが本地垂迹説のポイント、これにより日本のお寺と神社は一体化した(p287)