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こんな時代があったのか!?明治・大正 日本人の意外な常識 (じっぴコンパクト 85)

こんな時代があったのか!?明治・大正 日本人の意外な常識 (じっぴコンパクト 85)の写真

・明治初期に発行されていた「日要新聞」によれば、1872年にウサギの価格が値上がりして、両耳の毛が黄色の珍しいウサギが1羽600円で売られていた、これは当時の銀座の土地120坪と同価格(p17)

・上野動物園が開園した年の入場者は、ほとんどが大人、博物館付属の施設として作られたもので、設立目的は社会教育の一環(p29)

・19世紀末、公衆浴場を勧められたイギリス人女性は、裸の男女が入り混じって入浴する姿に、キリスト教世界の煉獄をたとえた(p37)

・明治になって関所が廃止されると、人々は日本中を旅することができるようになった(p46)

・明治4年(許可された年)に乳業に従事したのは、農家ではなく元大名をふくむ士族が中心、労働力である牛から栄養である乳を搾り取ることを敬遠した(p54)

・過度の投機や株売買のつけは、のちの1927(昭和2)の金融恐慌として回ってきた(p59)

・徴兵制度の兵役逃れは、免除規則が撤廃され、満20歳の男子はひとり残らず徴兵検査を受けるように規定した 1889(明治22)の徴兵令改正まで続いた(p72)

・離婚率がもっとも高いレベルにあった1897(明治30)は、1000人あたり2.87件、2008年の1.97件よりも高い、当時のアメリカは、0.70、フランスが0.25であり高い水準(p83)

・1898(明治31)に施行された民法により、1.5と下がった、改定点は、1)夫婦当事者の同意した署名入り書類の提出(部外者からの一方的な離婚は不可)、2)25歳未満の場合は証人の署名も必要(p84)

・明治政府は 1900(明治33)に未成年者喫煙法の施行により、未成年者の喫煙は不可能になった(p92)

・江戸周辺の農家の人々は月1回、屎尿を買い取って肥料として利用していたが、1918(大正7)にこのシステムは終了し、

それとは逆に、農家や汲み取り業者が市民から料金を徴収して回収するようになった(p115)

・呉服屋は、陳列販売という方法を「勧工場」から引き継いで、百貨店となった(p124)

・コレラの予防になるとされたラムネがとてもヒットした、1879年(明治12)には罹病患者16万人の70%が亡くなった(p136)

・断髪をする女性に対する社会の反発は根強く、断髪の女性は嫁の貰い手がないとされた、女学校でも退学命じられた例もある、当時の女性が断髪するには相当の勇気が必要(p150)

・牛鍋屋には3つの等級があり、1)旗を掲げた上等、2)行灯を掲げた中等、3)障子戸を看板代わりにする下等(p154)

・アサヒビールの前身の大阪麦酒が1895(明治28)にビアホールを開設、東京ではサッポロビールの前身である日本麦酒が経営する「恵比寿ビール」(p159)

・トルコ政府は100年前のエルトゥールル号事件を覚えており、1985年(イラン・イラク戦争)に日本人救出のためにメハラバード空港に飛来して日本に送り届けた(p172)

・定時法への切り替えが発表された1872年11.9、それと同時に改暦が発表されている、それまで使用していた太陰太陽暦を廃止して、グレゴリオ暦を導入、これにより1か月分の人件費を削減できるようになった(p181)

・11.9に発表、12.3から実施(新年の1.1)、決算月として重要なはずの12月が実質2日しかない(p182)