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summary

大坂落城 戦国終焉の舞台

大坂落城 戦国終焉の舞台の写真

・関ヶ原の戦いで没収・削封された領地は、632万石に及び(毛利、上杉、佐竹等)、約520万石は東軍に与した豊臣系武将に与えられた、135万石は徳川の直轄地(蔵入地)となった(p13、26)

・織田信長の孫である織田秀信はキリシタン大名として有名、岐阜城下には立派な教会があった、秀信は西軍に味方したので高野山へ追放(後に高野山からも追放)された(p25)

・秀頼の所領高は全国各地に散在する蔵入地を含めて220万石あったが、関ヶ原の戦い後には65万石(摂津・河内・和泉)となった(p30)

・1611年頃から豊臣恩顧の大名は死亡した、加藤清正(1611.6)池田輝政(1613.1)浅野幸長(1613.8)前田利長(1614.5)、残ったのは福島正則程度(p65)

・大坂冬の陣で秀頼の主力は、関ヶ原の戦いで敗れて浪人になったもの(p91)

・大名や家臣に使える者を奉公人というが、1)名字を持ち、武士に寄子・被官として奉公する侍、足軽、2)名字を持たない中間・小者、3)隷属した労働力の下人、に分類される、1)と2)まで(p98)

・北条氏滅亡により、1590.12には、秀吉は浪人を禁止し、村から追放するように命じた(p99)

・現在の大阪市平野区に所在した平野郷は、戦国期においては堺と並ぶ自治都市として知られていた(p106)

・大阪の陣が始まる前には、米の値段は、約7-8倍へ値上がりした(p113)

・大坂冬の陣が終わった時の合意では、二の丸・三の丸の埋め立ては豊臣方が行う予定であった(p142)

・豊臣方の大野治房は、堺に入り、徳川方に与したという理由で焼き払われた(p166)

・大阪城の焼け跡からは、金:2.8万枚、銀:2.4万枚が回収された(p178)

・大阪の陣は関ヶ原の戦いと比較して、「労多くして益少ない」戦いであった、秀頼の65万石を13名の大名で分け合った(p182)

・豊臣家の滅亡は、戦国で活躍した浪人衆や、多くの信者を獲得したキリシタンが終わりを迎えたもの象徴的であった(p214)