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summary

桶狭間の戦い 信長の決断・義元の誤算 (歴史新書y 008)

桶狭間の戦い 信長の決断・義元の誤算 (歴史新書y 008)の写真

・長篠の戦において、武田軍の銃兵の射撃によって、織田・徳川軍の銃兵がバタバタ打倒される様子を描いた「長篠合戦図屏風」の異本がある(p10)

・信長が雨があがったところで前軍を攻撃し、撃破された前軍の混乱が後方の義元の本陣に波及、全軍総崩れとなったのが、「信長公記」の素直な読み方(p46)

・義元の旗本の奮戦ぶりは大したもの、大混乱の最中に300人もの人間が結集しただけでも称賛に値する(p54)

・主力決戦が午後に起きたケースは珍しい、信長の積極的な陣頭指揮と部下の勇戦奮闘により勝利が得られたのは幸運である(p57)

・近代国家の兵士は、軍律・社会的制裁・愛国心で縛られているから将軍は兵士に理不尽な戦闘を命じることができるが、戦国武士は、主人との間の契約関係で動いていたから限界がある(p60)

・桶狭間の戦いの後、後継者氏真が降伏したのは9年後、姉川の戦いで浅井・朝倉を破って目う防させたのは3年後、長篠の戦で勝頼を破って滅亡したのは7年後であり、決戦勝利が敵の滅亡に直結していない、これは秀吉・家康とは異なる(p65)

・桶狭間の戦いまでに、赤塚・萱津・村木砦・清州城・稲生・浮野・岩倉城攻略で、寡兵で大軍を破っていて、信長の実力は知られている(p172)