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大日本帝国の国家戦略 日本はなぜ短期間でアジア最強になったのか?

大日本帝国の国家戦略 日本はなぜ短期間でアジア最強になったのか?の写真

・アヘン戦争とは、清への貿易赤字に苦しんでいた英国が、その赤字解消のためにアヘンを密輸、それを清が禁止すると武力で攻め込んだ戦争である(p15)

・日本経済を劇的に変えた改革が「地租改正」、それまでは取れ高に応じて決めていたが、土地に応じて税金を納めさせた、これにより安定した税収を得られるようになった、土地調査により、3222→4684万石あったことが判明した、商業地にも地租をかけた(p23、24)

・明治政府が自前で鉄道を作ったことは、外国からの侵攻を防ぐという意味で大きなこと、兵力x輸送力が軍事力である(p42)

・通信網を自前で作ることは、鉄道同様に重要なこと、外国に通信設備を握られることは、自国の神経を他国に支配されるようなもの(p49)

・維新後の教育制度は、四民平等により身分制度がなくなり身分を越えて教育を受けれるようになった、これは世界に先駆けている(p56)

・タイは独立を守ったが、19世紀までの領土と比較して 97→51万km2まで減少した(p59)

・欧米の兵を一旦撃退することができたアジア国は、実は薩摩、長州だけでない。韓国やアフガニスタンも撃退している、しかしその後に欧米列強と関係を築く努力をしなかったので、結果として帝国主義の餌食となった(p62)

・1876年(明治9)に新政府は小笠原が日本領であることを世界に通知し認められた、これにより日本はイギリス(1827年に領有宣言をした)から領土を分捕ったことになった、南鳥島、沖ノ鳥島が認められたのも小笠原諸島の存在が大きい(p72、73)

・戦前は所得税を払ったのは高額納税者のみ、一般人の賃金に税金が課せられるようになったのは、大戦直前の臨時特別税(源泉徴収)から(p97)

・日清戦争前に、日本は清に2度敗北している、1882年の壬午事変と、甲申事変(1884)(p111)

・清は定遠、鎮遠の2つの戦艦をふくむ4隻の軍艦を、1886年に補修という名目で長崎に入港し、威容を見せつける砲艦外交をしている(p113)

・1888年に鎮台制が廃止されて師団という組織になった、鎮台は特定の地域の鎮圧を主な目的にしているが、師団は活動範囲を決めない独立した軍隊である(p115)

・日露戦争の奉天会戦は、日本24万、ロシア36万が参加した、死傷者は日本が7万、ロシア9万人、これは日本の勝利と言える(p124)

・日本海海戦の勝利の陰の主役は36式無線機(p127)

・ゼロ戦の燃費はもともと良かったが、燃料タンク満タンにして2222キロ、これに330リットルの増槽をつければ 3502キロで当時の欧米の戦闘機の倍以上の航続距離(p144)

・中島飛行機は、直接アメリカ本土を爆撃するという、超長距離爆撃機「富嶽」を開発していた、B29よりもはるかに大きい、爆弾積載量はB29の2倍以上(p152)

・硫黄島の戦いにおいて、ミサイル兵器である噴進砲が 1945.2-3において配備された、これによりアメリカの上陸が延期となった(p156)

・酸素魚雷は、イギリスやアメリカの魚雷よりも、速度・射程距離・炸薬量すべてで優れていた(p159)

・殺人光線の研究は続けられ、マイクロ波により低空飛行をするB29のエンジンをストップさせる実験も計画されていたが終戦となった、このマグネトロン技術を応用したのが電子レンジである(p173)

・1942.3.11にマッカーサーはフィリピンからオーストラリアに移動したので、パターン半島の主力部隊が降伏、フィリピン全土のアメリカ軍が全面降伏した、これは史上初(p185)

・作戦行動中のイギリスの戦艦(プリンスオブ・ウェールズ)が、航空機の攻撃によって沈められたのは1941.12が初めて、セイロン沖海戦では空母「ハーミーズ」も轟沈(p191,194)

・アメリカ軍を最初に本格的に苦しめたのは、ペリリュー島の戦い、これは硫黄島の戦いの前に行われている(p202)

・小野田少尉は、陸軍中野学校出身の陸軍工作員、なので降伏後30年もルバング島に潜伏した、そのように命令を受けていたから、帰国したのは、当時の上官だった少佐により任務解除が行われたから(p212)

・日本が開戦前から保有していた領土を奪われたのは、1944.1のクェゼリン島の陥落から、それまでは英米の領土を奪っていた(p228)