・戦国時代を描いた歴史小説で出てくる銭1貫は、銭1000枚のこと(p38)
・フランスはNY連銀に預かってもらっている手持ち資金(ゴールド)を売却したが、実際には移送することなく、保管してあったゴールドの一部を別の棚に移し替えた(ラベルの付け替え)のみ(p42)
・中世の地中海交易では、コショウと並んで奴隷が主要製品、奴隷貿易は1807年にイギリスが最初に禁止、1863年にオランダが最後に禁止にするまで続けられた。キリスト教では「肉体を束縛することは精神の救済に役立つ」と折り合いをつけた(p55)
・ユダヤ教でも「外国人からは利息を取っても良いが、同胞からはいけない」と旧約聖書にある(p55)
・アラビア数字は、数学者の間ではセンセーションとなったが、金融分野ではなかなか使用されなかった、アラビア数字は改竄されやすかった、グーテンベルクが印刷金を発明(1445頃)して活字ができてから(p62)
・1672年に英国王チャールズは債務不履行をおこし、債務を引き受けた金匠は破綻した、しかし国債引受に参加できなかった小規模な業者は公証人銀行とともに生き残り、個人向け銀行の母体となった(p70)
・胡椒が腐った肉に使われたというのは間違い、コショウを買える身分の高い人は腐った肉は食べない、あくまで肉を美味しくする調味料、おいしさへの欲求が胡椒貿易へのこだわりを生んだ(p71)
・大航海時代に先立つ鄭和の大船団が7度、インド洋を横断したのはスケールが大きい、137メートルの巨漢を中心に62隻、乗組員2.78万人、コロンブスサンタマリア号は18メートル、ペリー旗艦で78メートル、この事業を止めたのは、万里の長城建設のため(p75)
・スペイン人コルテスが600人でアステカ王国を滅亡させたか、いろいろ理由はあるが、持ち込んだ伝染病が先住民を壊滅させたことによる、1500年に5000万人いた人口(移住した欧州人含む)が、1650年には400万人になった(p76)
・イギリスは重商主義(金や銀貨の海外流出を制限)だったので、当時のアメリカではポンド通貨は不足してため、メキシコドルが広く使われた(p80)
・12世紀に設立されたコーポレーション・オブ・ロンドンは、シティの4分の1の土地を所有、なので、ロンドンには、自治体首長の大ロンドン市長と、その会社の「ロンドン市長」がいる(p91)
・イギリスの東インド会社は、後のインド植民地経営によって存在感が大きくなるが、当初では、オランダン東インド会社の10分の1の規模(p94)
・1600年頃の一人当たり実質GDPは、オランダ:2175、イギリス:1440、最強のスペイン:1370、ポルトガル:1175ドルであった(p94)
・オランダは当時利幅の大きかった胡椒貿易に固執したので、1667年の第二次英蘭戦争において、東インド会社のナツメグ山地でしかないルン島と、NYのマンハッタン島を交換した(p95)
・イギリスでは株式ブローカーはマナーが悪く、王立取引所には入れてもらえなかったので、近くのコーヒーショップ(後のロンドン証券取引所)に集まった(p98)
・オランダチューリップの球根価格が上昇した季節は、球根が土の中にある時期、受け渡しの時期に暴騰した、かわりに先物が取引され、決済は差金決済、暴落が始まったのは3月に現物が入って受け渡しが始まるから(p101)
・オプション、先物取引は世界各地に見られるが、整備された制度をもつ市場としては、堂島米相場会所は世界初であろう(p129)
・17,18世紀のイギリスおよび欧州政府のファイナンスは、アムステルダム市場に依存していた、イギリスは対外債務国であったから(p133)
・英蘭戦争と、フランス革命戦争によるフランス軍の侵入(1795)により、オランダはフランスの衛星国(バタヴィア共和国)となってアムステルダムは衰退、そしてユダヤ商人はロンドンへ移住した(p134)
・戦費に困ったナポレオンは、1803年にフランス領ルイジアナを1500万ドルで売却した、その広さは、現在の領土の23%に相当する(p135)
・米国政府の代理人であったベアリング商会は、アメリカ領土購入のための連邦債を販売してナポレオンのために現金化、フランスの戦後賠償資金もフランス国債を発行した、これらを通じてロンドン金融市場を支配した(p136)
・1837年にコネチカット州において、株式会社設立に法律を作らずに、登記のみですむようにした、大規模な資金を必要とする鉄道事業のため(p144)
・1861年にリンカーンが大統領に就任すると、5日後には、南部連合議会は、北部とは別の財務証券と独自通貨を発行した、これが南北戦争のはじまり(p149)
・日露戦争後の利払い費と借換費の合計である国債費は、国家予算の3割、これは第一次世界大戦の特需により返済した、債務を重ねたロシアは革命によってデフォルト(p158)
・1兆紙幣マルクが1金マルクトナッタ時点で、金貨値を基準とする臨時通貨(レンテンマルク)が発行された、それは、1ポンド20.429マルクであった、国債保有者は額面の40分の1の価値で新国債と交換した、1兆分の1にはできなかった、この損失分がインフレ税(p166)
・1904年当時の東京株式取引所の主要銘柄は、日本郵船、鐘紡、瓦斯、電灯を除くと殆どが鉄道株、ロンドンもニューヨークも同様(p179)
・円は1871年(明治4)により、金1.5グラムを1円とした、金換算すると1ドル=1.003円となる。これは、幕末に流通していた万延2分金(1両の半分)の金換算の延長で、1両=1円とされる(p182)
・1882年に兌換紙幣が発行されたが、兌換対象は1円銀貨、日本は新貨条例で金を基準に円を決めたにもかかわらず、金銀複本位制をとった、日清戦争後に金本位制になったときには、1ドル=2円で固定された(p183)
・1943年に、軍需省を設置、民間会社に対して「軍需会社法」が制定され、重要産業を「軍需会社」に指定し、企業代表者には公務員資格与え、従業員は徴用扱い、法的に勝手に会社を辞めたりできなくなってしまった(p189)
・新円の引出しは厳しく制限されていたが、株を買って売却すれば簡単に「新円」の現金を手にすることができた(p196)
・50-70年代にかけての日本の輸出はGNPの11%程度であり、欧州先進国の半分以下であった(p212)
・戦前に販売した投資信託は、1950年5末に全て償還を終えた(p213)
・レーガン大統領の大きな決断は、航空管制官ストライキに参加した公務員は解雇、再雇用まで禁止、これによりアメリカにおける労働組合主義の敗北となった、これにより公務員解雇は普通に行われるよういんあった(p224)
・ニューヨークダウ平均が正規分布であると仮定すると、2.98万日のうち、マイナス5%以下の日が発生する確率は、実は0.22日しかない。またブラックマンデーのマイナス22.61%という下げ確率は、10の80乗日の確率になる(p250)