・日本が中国の懲罰に本格的に立ち上がったのは、第一次上海事変(1932)のときに取り決めた「上海停戦協定」に違反して、1932.8.13に中国側が一方的に戦闘を開始したことに対して、戦時国際法に則って応戦したのが実態(p22)
・1938年から上野動物園の入場者数は急激に増えている、そして日米戦が激しさをました1943年から減少している、それまでは平和を享受していた(p34)
・GHQ占領下に日本の原子力研究の調査をしたアメリカの科学者は、「なぜ日本は原子爆弾を製造しなかったのか」と疑問をいだいたほどであった、原子爆弾の使用は、戦時国際法違反になるとして、原爆製造の実用化の議論は行われなかった(p41)
・1935年には、湯川博士が中間子理論を発表したり、1937.4には、純国産機が東京ーロンドン横断飛行をして世界を驚かせていた。世界一のサイクロトロン実験装置の開発など、アメリカが恐怖心をいだく最先端科学が進展したいた(p42)
・日本敗戦後、最先端科学装置やロケット戦闘機「桜花」、巨大潜水艦など、根こそぎ接収して最先端科学の研究環境を破壊した(p42)
・中国から「侵略」と連呼されている戦争とは、日本軍が上海や北京など、都市部の治安を正常化して、維持するために派遣された(p71)
・実際、わが国に悲壮感が漂う状況になったのは、統計表からでも、1944年から(p82)
・樺太では、ポツダム宣言を受託した同15日以降も、ソ連軍の侵略がやまず、第五方面軍司令官の号令で自衛戦争を闘っていた(p117)
・学徒出陣した首相は、竹下登(志願)、宇野宗すけ(学徒出陣)、村山富一(召集)である(p119)
・山手線・中央線各駅周辺地域は、約五割が廃墟になった、銀座・新橋・赤坂・青山・原宿・渋谷・新宿・中野・吉祥寺・三鷹・四谷・池袋・高田馬場・神田・八王子(p142)
・日本列島を無差別攻撃できるB29が使用できる飛行場をサイパン島につくり、完成後の1回目の東京無差別攻撃は、1944.11.24である。それまで大小の東京空襲は、ポツダム宣言受諾まで合計72回(p143)
・駅前の一等地が代々の資産家でなければ所有できないことは誰にでも理解できるが、なぜ1950年以降、全国の中核都市の駅前に「パチンコ」が営業できるかの疑問の一端がわかるだろう(p149)