suu3.jp 戻る

summary

読めばすっきり!よくわかる日本外交史 弥生時代から21世紀まで (角川SSC新書)

読めばすっきり!よくわかる日本外交史 弥生時代から21世紀まで (角川SSC新書)の写真

・後漢書の東夷伝には、57年に倭の奴国の王が都である洛陽に使者を送り、そして後漢の光武帝から「印綬」を与えられた、これは後漢に奴国が冊封されたことを意味する(p15)

・卑弥呼は239年に、難升米(なしめ)という重臣を魏に派遣し、明帝に謁見し、卑弥呼に「親魏倭王」という称号と、「金印紫綬」(金印と紫色の組み紐)を授けている。紫は上から3番目の色。(P16)

・当時、加耶では鉄が豊富にとれた、ヤマト政権はこの鉄資源を確保したり、進んだ半島の技術を獲得した(P19)

・607年にヤマト政権は小野妹子を隋へ遣わして「日出づるXXX」という有名な国書を煬帝に見せて怒らせたが、その対応は返書を答礼使とともに派遣してきた。隋は高句麗へ遠征するために、ヤマトとは良好な関係を結んでおこうとした(P27)

・遣隋使は600年から6回(614年が最終)、遣唐使(630-838までの15回)に引き継がれた(P31)

・遣唐使は「節刀授与」の儀に臨む、これは天皇自身が遣唐大使に刀を授けるもので、天皇から大権を委譲されたことを意味する(P34)

・白村江の戦い(663)で負け、665年には和睦が成立、中大兄皇子は大宰府を防衛するための城(水城、大野、基じょう城)をはじめ多くをつくった。都を飛鳥から大津へ移した(P41)

・10世紀後半になると、貿易の中心は大宰府から博多になる、北宋商人が日本人の妻を迎えて居住しはじめたから(P73)

・天皇でいる限りは貴族政治の先例主義に拘束されて、穢れたとされた異国人とは付き合えなかったが、皇位を譲って自由に政治をできるようにしたのが、院政という発明だったかもしれない(P79)

・足利義満時代の勘合貿易において、日本は中国の銅銭を貨幣として使用していた。朝貢という形をとっていたので、明が日本の朝貢品を高く買ってくれた。(P105)

・15世紀、オスマン帝国が大帝国になり地中海交易を支配するようになると、欧州の人達はオスマン帝国を介さずに必需品である胡椒などの香辛料を手に入れたいとした(P116)

・秀吉が宣教師などを長崎で公開処刑したのでスペインとの関係悪化、徳川家康は復活を望んだ。メキシコで生産されていた銀の採掘技術が欲しかった。(P143)

・プロテスタントの国のオランダ、イギリスでは、カトリックのポルトガル、スペインのように布教をしなくても貿易が可能であった(P148)

・1912年に尾崎行雄(東京市長)が3000本の桜の苗木を親善のしるしとしてワシントンに贈っている(P262)