・アフガニスタン戦争は、1989年まで続いた。先の大戦から得た教訓を活かした結果、ソ連はアフガニスタンで10年にも及ぶ戦争をした(p18)
・ジョージブッシュは父親の戦争がなぜ成功したのか(多国籍軍と組織して国際社会の総意に基づいた戦争)を理解せず、ほぼアメリカ一国で戦って(イギリスは協力)、ベトナム戦争と似たような状態になり大失敗した(p21)
・1979年の中越戦争時の中国の人民解放軍は、自国に侵攻を受ければ人海戦術で戦えるが、よその国に攻め込むほどの力は無かったので、ベトナムに負けて撤退した(p23)
・民間人を無差別に殺した、広島・長崎への原爆投下、東京大空襲のアメリカの行為は、国際法に反する犯罪行為となる(p34)
・東京裁判のC級戦犯(C項目)は、ユダヤ人の絶滅を目指したナチスドイツの行為を想定したもので、東京裁判では適用されていない(p35)
・ドイツでは、ヒトラーやナチスを称賛する言論が法律で禁じられている、ホロコースト、強制収容所がなかったと主張することは禁止。SS(ナチス親衛隊の略称)も使えない(p37)
・日本憲法制定時には、当初、一院制であったが、参議院を加えるプロセスがあったので、完全な押し付け憲法とは言えない(p43)
・労働者の可処分所得が増えれば、消費者として買い物ををする、だからGHQは「民主化」の名の下に、労働組合を作るように指示した(p51)
・戦前のビール業界では、大日本麦酒という大企業が圧倒的シェアを持っていたが、財閥解体により、日本麦酒(サッポロ)と、朝日麦酒(アサヒビール)に分割されて、それまで陰に隠れていたキリンビールがシェアを大きく伸ばした(p52)
・日本の自衛隊は、2011年、海賊船への警告では、思い切り「海軍」と言う言葉を使っていた(p55)
・日本共産党は、1955年に路線変換するまでは、武装闘争を肯定していた(p57)
・朝鮮半島に派遣される米軍と同じ、7.5万人の武装組織を作るように日本政府に命じたのが、のちに自衛隊となる「警察予備隊」であった(p57)
・嘉手納基地は空軍なので、戦闘機や爆撃機が中心だが、普天間基地は海兵隊なので、ヘリコプターが中心。(p65)
・当時のセイロン(現スリランカ)は、仏教国らしく「恨みには徳をもって返す」という感動的な言葉を使って、戦時賠償金を受け取らなった。台湾も同様、そこでその代わりに、円借款や技術協力などで日本が支援するODAを積極的に行った(p69)
・中国も日本の戦時賠償を辞退した、1972年に国交正常化をしたとき、1952年の日華平和条約は失効して、台湾と断交している。それが国交正常化の条件であった(p70)
・シンガポール、インドネシアも、自力で独立を勝ち取ったので日本を許す気になったのだろう。朝鮮半島には、ソ連とアメリカがやってきて、それぞれ韓国と北朝鮮に政権をあたえたので、自力で独立をつかみとっていない(p75)
・アメリカ海軍は日本と異なって、一定期間ごとに乗船するメンバーが入れ替わり、同じ艦船を複数の部隊が交替で使用する。艦長は、その艦船のトップではなく、その部隊のトップ(p83)
・アメリカは誰がやっても成功するマニュアルや技術(近接信管)をつくったが、日本は名人芸に頼りすぎた(p85)
・湾岸戦争は次に起こる悲劇の火種を残した、それが米軍のサウジアラビア駐留、国王が米国に頼んだが、オサマ・ビン・ラディンは、国王を激しく批判して国籍を剥奪されて追放され、アフガニスタンに入り、タリバンの協力を得た(p96)
・アメリカは、ソ連を懲らしめるためにアフガニスタンの反政府勢力を支援したことで、結果的に、オサマ・ビン・ラディンというテロリストを育てた(p104)
・アメリカは、トルーマンドクトリンに基づいて、共産化の恐れがあった、ギリシア・トルコに経済援助を行った(p117)
・1898年にはキューバ独立軍がスペインから解放を果たしつつあったが、米軍が「米西戦争」を起こして、あっという間にスペイン軍を追い払い、アメリカは、フィリピン・グアム、プエルトリコを手に入れた(p121)
・ボスニア紛争では、できるだけ客観的に事実を伝えようとするCNNよりも、愛国心をかきたてるFOXニュースのほうがアメリカで高い視聴率を取るようになった(p149)
・ドイツは第一次世界大戦で生じた経済的マイナスを戦争で埋め合わせる道を選んだため、第二次世界大戦の戦勝国は、敗戦国に過大な戦時賠償を求めなかった。サンフランシスコ条約で調印した各国は、日本に対する戦時賠償を放棄することになっている(p161)
・ヨーロッパがドイツが、鉄や石炭を戦争に使わせないようにする仕組みとして、1951年に欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)ができた。これは、フランスとドイツの石炭と鉄鋼の生産をすべてECSCの管理下に置こうとするもの(p162)
・日本共産党は、1955年に自己批判を行い、武装闘争路線を否定した。しかしそれに納得しなかった人々が中心になって「新左翼」と呼ばれる過激派を結成した(p192)
・ベトナム戦争が行われていた1967年に成立したASEANは、東南アジアの共産化を防ぐために作られた。それにベトナムが加盟したのは、冷戦の終わりを象徴する出来事である(p224)
・本当に怖いのは、異常な独裁者ではなく、それを支える国民の熱狂である(p236)