・明治の改元が今と違うのは、改元の日慶応4年9月8日からではなく、その年の1月1日に遡って明治元年にした。つまり、慶応4年1月1日から9月6日までは「消された」。このときは和暦である。明治5年12月3日が、明治6年1月1日となった(p8、112)
・明治前半期には、違う「東京」という字(京の一部、口ではなく「日」)を使った。中国史に登場する、後漢の都であった洛陽の異名が「東京」であった。前漢の都、長安の東にあったから(p8)
・庄内藩を除く列藩同盟の各藩は、新政府側に降伏したが、最後まで戦いが続いたのが、福島・宮城地区である(p12)
・会津藩士達は、戦国時代と同じ武装をしていた、会津武士にとって「鉄砲は足軽の持つもの」という江戸時代朱子学が導入されて以降の、因循な考え方から抜け出せなかった(p14)
・朱子学導入の裏目は、忠誠の対象が将軍でなく天皇になってしまったこと、商売が悪になった、それまで日本に見られなかった男尊女卑の定着、身分固定の弊害(p19)
・試験航海にでた「信濃」(当時世界最大の空母)はアメリカ潜水艦の魚雷攻撃を受け、沈没した。一潜水艦が沈めた船としては、信濃は最大であった。(p31)
・明治二年の戦いにおいて、東郷平八郎は、新政府艦隊の「春日」に若手士官として乗り組んでいた(p37)
・大坂城も、鳥羽伏見の戦いの後、大阪と改名された。同様に、箱館も、「函館」となった(p47)
・戊辰戦争以後、新政府が「賊軍」などから奪った直轄地を、「府」「県」と命名したため、それと区別するために旧来の大名の領地を正式に「藩」と呼ぶことになった(p49)
・明治2年あたりから、お上から「名前を一つに統一せよ」という布告(太政官布告)がだされた(p62)
・明治2年に鋳造された1円金貨は、金:銅比率=9:1、含有量は1,67グラム、これは当時の1アメリカドルとほぼ匹敵、1ドル=1円であった(p73)
・武士はなぜ俸禄(給料)を貰えるか、国家有事の折には、先頭にたって国土人民を守る義務があるから。だから武士階級は日常労働を免除されて特権を認められている、これが前近代の基本思想であった(p77)
・地租改正のポイントは、物納が金納になる、全国一律(地価の3%)、地下に対するので豊凶作に影響されないであるが、最大の変換点は、土地を金銭で評価することで、国民の私有を認めたことにある(p81)
・鉄道のレールは、1067ミリの狭軌であった。イギリスでも山間部など特殊な場所に使用されていた、イギリス製機関車が輸入可能であった(p92)
・日本がレンガを使わずに木造にするのは、地震のため。明治10年に完成した、銀座レンガ街、浅草凌雲閣(日本初の高層建築)は、折れてしまった(p109)
・普仏戦争で、プロシアがフランスに勝ったので、それまで主流だったフランス式軍制をあらため、陸軍はプロシア式を採用した(p102)
・アジアには朱子学があり、アメリカの通商要求に応じることは、1)祖法を破る、2)神聖なる国家が貿易(商売)をする、ので断固反対であった(p125)
・日清修好条規の批准とは、有史以来、日本を絶対に対等な国家として認めなかった中国が、初めてそれを認めたことで、日本外交の大勝利(p155)
・肥前(佐賀)は、薩長土肥の中で最も血を流していない人々(p183)
・明治6年12月、秩禄奉還法が太政官布告され、士族(旧武士)の家禄は完全に廃止、その代わりに、金禄公債証書を与えらえた。国が士族から金を借りて利子を払う事で収入をある程度保証しようとした(p213)
・日本国民である宮古島民が台湾にて殺されたので、正式な謝罪と賠償を求めた、これを認めると、「琉球王国は日本領」と認めることになるので、「台湾原住民は化外の民で関知しない」とした(p142)
・場合によっては外国軍と交戦するのが軍隊、警察は主に国内の治安を維持するのが役割、警察には外国軍との交戦権は認められていない(p283)
・同じ薩摩の武士でも、上士と郷士の対立はあった、郷士たちは薩摩人で薩摩弁をしゃべれるのに、西郷支持でない人がいた(p286)
・日露戦争で有名な乃木大将は、萩の乱当時は少佐で、小倉の歩兵第14連隊の隊長心得(実質的な隊長)であった(p315)
・首斬りによる処刑方法は、1881年(明治14)末まで、翌年1月1日を以て廃止となった(p372)
・部落差別とは、インダス文明にてアーリア人が先住民のドラビダ族を被差別民としたように、動物植物文明(先住民・縄文人)とは対極の文明を持つ人々が、縄文人に対して行った差別ではないか(p398)
・平安時代には実質的に死刑は廃止された、人権思想があったからではなく、国家の担当者が死の穢れに触れたくなかったから。罪という穢れを「水に流す(流罪)」という形で処理した(p401)
・天皇家は神の子孫であり、どんな家系も取って代われないという他に、日本人にとって最も神聖なものは「穢れ」から最も遠い天皇家であるといおう信仰があった(p402)
・火葬は仏教によって認められた葬式の一形式で、仏教伝来以前の日本では無かった。持統天皇が火葬すべしとした(p407、408)
・罪穢れに、満ち満ちた犯罪者に直接触れる、奉行所の与力、同心も「不浄役人」と呼ばれて、旗本の仲間にはしてもらえなかった。(p425)
・日本だけに弥生時代から続く「穢れを扱う職業」に対する差別がある。だから、鎌倉時代以来、天皇の朝廷と武士の幕府の二元政治となった、軍事や警察から手を引いた(p442)
・日本以外の国では、詠歌や歌集の編纂は文化事業であるが、日本では行政の一環、言霊信仰があるから(p443)
・仏教は神道の欠陥を補う役割(穢れの無害化及び、怨霊鎮魂)を期待された、だから、道教や儒教、キリスト教に勝利して日本に定着した(p447)
・17条憲法によれば、話し合いによる合意=神道・出雲大社(1条)は、仏教=仏教・東大寺大仏殿(2条)、天皇への忠誠=御所(3条)、よりも強い(p453、466)
・日本を真っ二つに分けた天皇家の南北朝の争いにおいて、勝ったのは北朝だが、明治になって正統とされたのは、負けた南朝であった(p467)
・勝ち組の藤原道長は、自分の娘・彰子付きの女官・紫式部に、臣籍降下した源氏の若者がライバルを退け、その息子が皇位に就く、という物語(源氏物語)を書かせた(p467)
・元寇における「神風」とは現実の軍事力によって国家が守られたと認めたくない連中の夢想である(p485)
・徳川家康が、東照(あずまてらす)大権現という神様になれたこと、豊臣秀吉が関白になれたことは、もとはと言えば、身分の壁を壊すアイデアを考え出した織田信長がいたからできた(p507)