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summary

日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実 (中公新書)

日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実 (中公新書)の写真

・満州国の現実の黙認という形で日米間で妥協が成立する可能性が客観的には存在していた、しかし日本側が撤兵問題にこだわり続けたので、結局戦争になった(p14)

・ガダルカナル島の撤退(43年2月)により、多数の新鋭輸送艦、航空機、熟練した搭乗員を失い、陸上戦でも米軍に完敗した。ここで日本の敗勢が明確になったがこの時期に米軍を支えたのは、ニューギニアなどで日本軍と交戦したオーストラリア軍であった(p15)

・1944年8月から敗戦までは日本軍があくまで徹底抗戦を続けたので、戦争はさらに長期化し絶望的抗戦期と呼ばれる。日本人死没者(310万人)の大部分が、サイパン島陥落後である(p19、25)

・航空機による通常の攻撃法では、落下する爆弾に加速度がつくので破壊力は大きくなるが、体当たり攻撃では、急降下する特攻機自体に揚力が生じるため、装着した爆弾の破壊力はかなり小さくなる。なので大型艦を撃沈できない(p56)

・現役徴収率とは、満20歳で徴兵検査を受検したのちに実際に現兵力として入営する若者の占める割合で、1929年で15.4%、36年で18.2%(p61)

・敵弾で戦死したのは30%、残り7割は、6割:自殺、1割:他殺、残り:事故死である(p64)

・1941年に240万人(1937年には63万人)であった兵隊数は、1945年には719万人(550、169)1944年には徴兵年齢が19歳に下げられ、徴集率は77%(p85,87)

・ヒロポンはメタンフェタミンを成分とする中枢神経興奮剤、大日本製薬が1941年から製造、中止されるのは1950年(p117)

・日本軍の場合、総力戦・長期戦に対応できるだけの休暇制度が整備されていなかった(p124)

・軍事思想として、1)短期決戦、速戦即決、2)作戦、戦闘をすべてに優先させる作戦至上主義、これは、補給・情報・衛生・防御・海上護衛が軽視された(p139)

・統一した国家戦略を決定できる政治システムを持たないまま戦争を戦ったので、1)対米英豪戦争、2)対中国戦争、3)対ソ戦争、という三面正面作戦を戦おうとした(p164)