・歴史について「イフを許さない」というのであれば、歴史から教訓を導き出すことがあってはならない、と言っていることと同じである。大切なのは、拡散思考=優位戦思考といってよい、絞り込み思考は劣位戦思考である(p23)
・トルデシリャス条約(1494)、サラゴサ条約(1529)と修正が加えられて、足利時代の日本人が全く知らないところで、日本列島は、近畿地方以北がスペイン領、以南の中国・四国、九州はポルトガル領にされた(p33)
・一神教の世界では、異教徒は全く別の存在である、死んでから天国で会うことはないので現世ではどんなにひどいことをしてもいい。ところが日本では死んだらみんな神様、仏様で、また会うことになる。この違いが天地の開き以上である(p37)
・日清戦争時、清国の持つ、定遠・鎮遠の7000トン級の戦艦に対抗するために、フランスから建艦技師を招いて、松島・橋立・厳島の3隻を建造した、このときの、総トン数・装甲能力・砲弾数で比較した戦力差は、5対1であった(p59)
・日本が明治開国以降、国際社会において主張し続けたのは「人種平等」である、しかも白人に対して、けっして諦めなかった。その口火を切り、大きな炎をしたのは日本であることを忘れてはならない。白人絶対の時代を終わらせたのは日本単独の力である(p70)
・日本の遼東半島をこばんだ、露・独・仏は、ドイツは膠州湾と青島、ロシアは遼東半島、フランスはベトナムから海南島と雲南、広西、広東の南部三省に手を伸ばした、イギリスは香港・威海衛に加えて揚子江流域を租借した。米国は1903年に奉天・安東を外国人居留地として解放する旨の条約を結んだ(p72)
・日露戦争では児玉源太郎が先を読んで整備した海底ケーブルの通信網が大きな効力を発揮した、バルチック艦隊が喜望峰やインド洋を回ってくる情報は、ロシアに露見されることなく逐一イギリスのインド・アフリカ回線を通じて日本に送信、朝鮮半島に停泊中の旗艦「三笠」と東京の大本営は電信による通信も可能であった(p78)
・まずは白紙で考えて武器やカードを列挙する、次に使う順番を決める、最終的に達成すべきゴールを明確にする、それが戦争を設計するということ(p78)
・優位戦思考とは、自分がどのようなカードを持っているか、あるいは持ち得るかを前提として、その後は、相手よりいかに柔軟な思考、発送ができるか、そしてそれを実行に移すかという勝負の世界である。何が可能かを考えることが優位戦思考である(p99)
・日本は国家として奴隷の制度があったことはなく、宗教にもなかったので、昔も今も人種問題には超然としている。大東亜戦争で日本が勇戦敢闘したのを見て、アメリカの黒人が立ち上がり、ユダヤ人と連携して「公民権法」を勝ち取った(p132)
・第一次大戦においてソビエト政権が誕生すると、領土や賠償金で譲歩して、1918年3月にドイツと単独講和した(p140)
・フーバー米大統領は、国内産業の保護を勇戦する政策をとり、スムート・ホーリー法が定められ、1930年6月17日に成立した関税に関する法律で、2万品以上の輸入品に対する関税を引き上げたので、多くの国が対抗措置としてアメリカ製品に高い関税をかけて報復した。これにより世界は保護貿易とブロック経済に突入していった、自分の勢力圏(植民地)がない国は生存に困難が生じた(p175)
・実際に日本が満州への入植を進めたのは、昭和恐慌からの脱却の一つの手段であった。金の輸出解禁措置をとったので円相場が下落、輸出を増加させられたが、ブロック経済を米英が導入した、日本も独自の経済圏を築く方向に行ったのはやむを得ない(p210)
・人口増加のほかに、輸出を締め付けられたことも日本が戦争に踏み切った理由のひとつで、自存自衛のためであった。アメリカの保護主義が原因で、自由貿易をアメリカが維持すると言えば日本は戦う必要があった(p212)
・昭和18年4月末に駐華大使から外相になった重光による構想により、東条英機は昭和天皇の後押しもうけて、遅まきながら共栄圏外交を展開した、18年8月1日にビルマ、10月14日にフィリピンを独立承認して同盟条約を結び、23日に自由インド仮政府を承認、30日に汪兆銘政権と同盟条約を結び、11月5日、6日の大東亜会議に結実した(p323)