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「合戦」の日本史 城攻め、奇襲、兵站、陣形のリアル (中公新書ラクレ 758)

「合戦」の日本史 城攻め、奇襲、兵站、陣形のリアル (中公新書ラクレ 758)の写真

・戦国時代になると集団戦が基本になり兵力は大規模な人数が動員されるが、幕末・明治維新の頃になると戦いに動員される数はガクンと激減する。これは、平安後期から鎌倉時代の合戦と同じように基本的には戦いのエキスパートである武士しか動員されないから(p22)

・当時(戦国時代)は太平洋側の海上交通は波が荒く危険視されており、日本海側の海上交通が交易ルートとして重宝されていた。そこに面している直江津を押さえておくことは上杉謙信にとって重要であった、日本海側で作られている焼き物を積み、蝦夷地で売買する、そこで仕入れた海産物をつみ直江津へ戻る、さらに越後では青そ、と言う植物が作られており、それを荷としてのせた船が京都へと行く。青そは、木綿が一般になるまでは衣服の原材料として重宝されていた(p53)

・川中島の戦いにおいて、武田は北信濃を含む信濃のほぼ全域を制圧していた、だからその北信濃を奪いたいと責めに来たのは上杉謙信の方である、つまり攻める側は上杉、守る方は武田となる、目的も北信濃をどちらが得るのか(p55)重要なのは、その合戦の目的とは何か、そしてその目的が達成されたのか否かと言う点に尽きる(p58)

・西暦600年の日本の人口は、600万人程度、1600年で1200万人程度、つまり1000年で人口は倍にしかなっていない、中世の頃は1000万人程度(p62)

・一騎打ちをする武士たちにとって重要なのは、まず馬術、そして弓矢の技術、弓の勝負で決着がつかなければ相手を取っ組み合いになるので力は強いほどよい。すなわち、鎌倉時代初期までの武士の理想像は、馬術が巧みで、弓の扱いに秀でている、そして大力であること、刀で切り合うチャンバラの要素はどこにもない。一対一の命のやり取りに唯一割り込めるのが「一の郎党」とも呼べる、主人と一心同体の家来である(p72)

・総力戦が始まるようになると相手よりも多くの兵を準備できた方が合戦に勝利する、合戦の勝敗を決めるのは戦場だけでない、準備の段階から勝負が始まっている。つまりより多くの兵を養える経済力があるものこそ、合戦の覇者となる(p76)

・何のために戦うのか、誰と戦うのか、どうすればその戦いは終結するのか、これが全て戦略の問題となる、これは合戦の勝敗の大前提とも直結する(p95)

・勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし、と肥前国平戸藩の藩主、松浦静山は言っている。これは2020年に亡くなった元プロ野球監督の野村克也氏が自分の著書でよく用いたことで有名になった(p108)

・戦場での死に方として多い順に、1)鉄砲で撃たれる、2)弓矢で撃たれる、3)馬に踏みつけられる、刀を持って接近戦できりあって死ぬことは少ない(p115)

・合戦の褒賞は各家単位で行われるものなので、各家からきた兵士をバラバラに配置すると、褒賞を与える際に判断に困ってしまう。ですから、兵種別の編成とはあくまでも机上の空論に過ぎない、リアルな合戦ではそんな編成の仕方はまずできなかったと考えられる(p124)

・一騎討ちだった鎌倉時代初期までの戦いでは、相手の命を奪うことが目的とされたが、戦国時代になり集団戦・総力戦になると、相手の利益や権益を奪うのが目的になった、これは敵の命を奪うための城攻めから、敵が持っている経済的な利潤を奪うための城攻めというのと似ている(p165)

・城に立て籠もるというのは、後詰として他から援軍が来るまで耐え忍ぶということが作戦のメインになる(p170)

・1万人の軍勢を一月動かすだけで、現代の価値で1億円以上かかったと思われる、軍事は経済である(p173)

・江戸時代の初期において、1万石の領地を持っているものは、鉄砲隊20、槍隊50、弓隊10、騎馬隊14、旗持ち3となっている。戦国時代と比べて軍役は半分以下となっている(p242)