・資本主義とは何かという点で一致しているのは、資本主義は飽くなき利益を得るための社会制度であるということ(p20)まとめると、資本主義とは、飽くなき利潤獲得を目的とする制度である。人々は社会の利益のために、利潤獲得という本来の目的を変更することは絶対にあり得ない(p28)常に利潤を獲得するために、休むことなく動き続けるしかない社会である(p56)
・カトリック支配に対する抗議(プロテスト)があった、貧しい生活の中から教会に寄付しようとしても仕事の都合もあり教会に行くことができない人にとっては、仕事をしながら、あるいは仕事をすること自体が神を信仰することになるといった新しい方法が必要になってくる。こうして生まれたのがプロテスタントである、信仰よりも自らの仕事(天職)を大事にするようになり、生産力が上昇することになった(p39)
・マルクスは労働者が生み出されていく過程を、二つの自由、という言葉で表現している。1)土地からの自由、2)封建制からの自由(p53)土地を失った労働者は、仕方なく都市へ行って、工場労働者になるしか選択肢はない。こういう労働条件があって、資本主義が発展することになる。資本主義には、機械の発展・労働者(人間)を農村から追い出す、という二つの「発展」が不可欠である(p54)
・ナポレオンの失脚により1814年に崩壊し、イギリス圏が勝利して大英帝国という一極体制が確立する。これで一番困ったのは、欧州、特にドイツ以東の東欧の人たちである。東欧がフランス圏にあった時、ドイツ、ポーランドの小麦はフランスを中心都市た経済圏の中で動いていた、それがナポレオン体制の崩壊と共に、イギリスが支配していた中南米から安価な作物が入ってくる、すると、ドイツ、オーストリア・ハプスブルク帝国、イタリアの農作物が安く買い叩かれることになり、これに天候不順が追い打ちをかけて、東欧・南欧の人達は生活が立ち行かなくなり、人口が希薄であったアメリカが発展する景気が生まれる(p73)
・アメリカの南北戦争によって工業国へ変貌する、奴隷解放戦争ですが、これはアメリカの工業化と関係している、北部は工業が盛ん、南部はイギリスの分業システムに組み込まれていて、イギリスに綿花を売ることで輸出を支えているので黒人奴隷を抱えていたので、南部の経済は綿花無くしてもたないと思われていた。しかし実際には北部の工業製品の輸出でそれを補えることがわかり、北部の工業生産が南部のプランテーションのような植民地的システムを駆逐した(p83)
・明治時代の日本では、官営工場を摂理寿司、それに銀行が融資して民営化した後に、そこに税金を投入する。今でも日本を支配している財閥系の会社はそうしてできている、これが金融資本主義である(p96)
・西洋白人社会は、単なる西洋の支配ではなく、白人内部にもきめ細かい差別構造があった、東欧に対する西欧の優位、アングロサクロンのラテン系・スラブ系に対する優位、プロテスタントのカトリックに対する優位、ユダヤ人を含めた非西洋人、黒人に対する優位、男性の女性に対する優位、WASPという言葉に象徴される、ホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタントは、民衆に対する貴族の優位のないアメリカで生まれた新たな貴族であった(p117)
・ロシア革命は、こうした概念の改革を迫る革命であった、労働者が帰属の牙城を侵食することをよく思わない西欧の特権階層は、ロシア革命への干渉を行い、さらに、ハンガrー、ドイツで起こった革命現象に対して厳しい態度で臨んだ、それがドイツに対する第一次世界大戦後の厳しい処置であり、結果的に第二次世界大戦の原因を作ることになった(p117)
・大恐慌の象徴的な出来事は、1929,10,24の株価暴落ですが、実際景気が悪化してどうしようもなくなるのは、その3年後の1932年から、1931年には株価は盛り返している。この恐慌は1937年に再来したが、最終的には第二次世界大戦によって解消された。最初の教皇はバブルによる連鎖的な破綻でかなりの地方銀行が倒産したが、大企業・大銀行は影響を受けていない。それが次第に悪化したのが、独占企業の問題である。業績が悪くなっても大企業はすぐにはリストラ、安売りをしない。しかし最終的には値下げをして安くするから収益が減り、賃金が下がる、そしてものを買わなくなる、こうしてデフレ現象が進んだ(p127)
・1945年から1949年までのドイツは占領下の状態にあった、東ドイツはソ連、北ドイツはイギリス、ライン川沿いの西ドイツはフランス、南ドイツはアメリカで分割し、ベルリンは東はソ連、それ以外の西は北から順に、英仏米が分割統治した。(p155)
・ケインズは、ドルでもポンドでもない「銀行金=バンコール」という新しい通貨の創設を提唱、これは時間によって減価するので受け取ったらすぐに使わなければならない、いずれの国もバンコールを独り占めできないシステム、それは金の自動調整機構にも似ている、一方、ホワイトはドルと中心としたドル基軸体制を主張して、これが採用された(p161)
・ポーランドは大戦後に領土が大きく変化する、東部分をソ連に占領され、その見返りとしてドイツ側の領土(オーデルナイゼせん)国土が大きく西にずれた。この問題が現在のウクライナ問題にも影を落としている、ウクライナには多くのカトリック、ポーランド人がいある(p203)
・ナチス側について戦ったのは、ルーマニア。ブルガリア、クロアチア、そしてハンガリーである。ハンガリー帝国は戦後の選挙では共産党は少数派であったが、ソ連による賠償金免除などにより次第に共産党が力をもち、1947年の選挙で勝利した共産党はやがて他等を解散させて追放し、共産国家が成立した(p205)
・1989年のソ連崩壊に至る流れは、自由を求める声でも、社会主義体制の崩壊でもなく、まさにシャイロック的金融(まずは借金で楽な生活をさせ、やがて身ぐるみはぐ、そのためにレーガンは高金利政策=強いドルの反共政策をとった)によって生まれた。ミサイルではなく、経済で、ソ連・東欧を崩壊させた(p210)
・ソ連、東欧経済は、それぞれの国の物価レベルにおいては、それなりに高いGNPを持っていた、ソ連は第3位の日本とアメリカの間にある、第二位の国でした。その実態は、生産性・技術・品質の低さ・効率の悪さなど、あらゆる点において比較にならないほどの状態であった(p215)国境を西側と接する、東ドイツ、チェコスロバキア、ユーゴスラビア、ハンガリーなどはすぐわかった、ユーゴスラビアは自由に外に出ることができたので、その影響は計り知れなかった(p216)
・過剰な公的債務に対する解決策はこれまで8つ存在する、そして現在もその8つが存在する。増税・歳出削減・経済成長・低金利・インフレ・戦争・外貨導入・デフォルトである。これ以外には解決手段はない(p275)
・今や中国を代表として、第二の資本主義という形で出現している、中国はすでに50近い国が参加している、建設投資銀行と、一帯一路という大きな建設計画を立ち上げた。これはある意味、アメリカ的自由主義経済への大きな挑戦である、国家が大規模インフラ計画を行うが、それを支えるのは各国が拠出する建設投資銀行である。アメリカと日本は参加しなかったが、欧州は参加したのは当然であった。貿易黒字を続ける国家をバックにした信用システムは極めて強い、中国の場合はリーマン時のように最終的に国が助け舟を出したのに対して、最初から国家が全面に出ている(p291)