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理系思考入門

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・嘘の経済常識を信じ込んでいる、1)高度成長は通産省指導のおかげ、2)1ドル360円時代は為替介入していない、3)狂乱物価の原因は石油ショック、4)プラザ合意以降にアメリカの圧力で政府が円高誘導した、5)バブル期はものすごいインフレ状態だった、これらは全て間違いである。実際は円高にならないように介入していた、為替維持のためにマネーが大量に出回っていて物価が上がった、プラザ合意で為替レートを市場に任せた(=本当の変動相場性)にしたから、バブル期は資産価格(株、土地)のみ上がり、一般価格は通常であった(p171ー175)

・傾斜生産方式は、アメリカからの援助を引き出した(重油(1947)、原料炭、鉄鉱石などの基礎材料の輸入(1948開始))という点で、ポリティカル的には成功だが、経済的な意味でなほとんど効果が無かった(p189)

・預金封鎖は、猛烈なインフレ対策として強制的に貨幣の流通速度を下げるためと言われいたが、本当の目的は、債務償還のために富裕層に財産税を課すことであった、国民がもつ10万円以上の預金、不動産に対して最高90%の課税をして、国の借金を国民に払わせる措置であった、インフレ抑制でなく財政再建であった(p200)数年間で400億円集めたが、インフレ率が高かったため、増収分が目減りしてほとんど意味がなかった、514%,169%,193%,63%(1946-49)のインフレ率(東京小売物価指数)の結果、自然に名目上の歳入額も増えていき、財産税の徴収はかすんでしまうほどの増え方であった、財産税による徴収よりインフレによる増収が大きかった(p200)

・高度経済成長の最大の原因は、1ドル360円の為替レートである、完全に自由な為替相場だったと仮定した場合の計算上の為替レート(円マネタリーベース/ドルマネタリーベース)で考えると、1985年(プラザ合意)までは大きな乖離がある、この有利な為替レートが高度経済成長の最大の理由である(p223)日本と西ドイツは圧倒的に有利なレートを利用して稼ぎまくって国際収支が黒字になった、西ドイツには二回ほど切り上げ要求したが、依然として有利なレートであった、日本は固定されたままであった(p237)

・制度上は1973年に変動相場制になったが、実際には猛烈な為替介入(ダーティ・フロート)が続いていた、国民には分かりにくい形であった、これを完全にやめて真の変動相場制に移行したのが、1985年のプラザ合意であった(p244)308円の固定相場から近郊レートの140円に一気に近づいたら日本の輸出企業は倒産するので、ダーティ・フロートで市場に大量のマネーが供給されてインフレが生じた、これは石油ショックの前から起きていて、物価は急激に上がり始めていた(p249)