・ 13世紀のモンゴル帝国が発明した「ペーパーマネーを国際基軸通貨とする体制」は、通貨を物財との交換手段ではなく、利潤を生む資本(有利子で借りるものがある限り価値を保つ)と考えられることから出発した(p4)
・日本の歴史で、没年を覚えていたほうがよい人物は、織田信長と聖徳太子くらい、あとは活躍した時代を確認しておく(p21)
・日本史を知るための三大要素は、歴史の継続性・単一性・純粋性の3つに要約される(p24)
・近代化以前に、日本の政府が海外に軍事的侵攻を企てたのは、663年の白村江の戦い、1592~98年の朝鮮出兵であり、いずれも短期間で失敗に終わった(p34)
・組織的に日本が攻撃されたことは、元寇(1274,1281)と、欧米艦隊の来航(19世紀中頃)であるが、二回とも短期間で終わった(p34)
・日本は他の陸地とは「狭くない海」で隔てられていて、時間と費用を無視できる使節、留学生は往来可能であるが、人や物を計画的に大量輸送することは、高級品以外は無理(p36)
・日本の科学技術が西洋に比べて遅れるのは、享保年代(1716-35)以降の統制と弾圧によって、不況と停滞が続いたため(p48)
・歴史を知り、楽しむ場合には、昔の人が、その人にとっての昔をどう感じていたかを冷静かつ正確に推測するのが望ましい(p68)
・巨大な石造物を造ったのは、余剰な生産物と労働力を、再生産力を産まない事業に投入することで、余剰生産物の蓄積をなくし、社会の階級化を防止するというのが最近の通説(p70)
・千年の間、1つの国の首都であったと思われる都市は、世界で、ローマ・パリ・イスタンブール・京都の4つ、北京はあと200年(p71)
・崇仏派の豪族たちを納得させながら、天皇家の地位を守るには、神と仏の両方を同時に信じることを許容する、習合思想を開発する必要(聖徳太子)があった(p99)
・東洋伝統の太陰太陽暦はややこしい、1年の周期と月の満ち欠けによる1ヶ月を調整するために、11年に4回か、19年に7回の閏月を入れる必要がある(p110)
・プロジェクトメークの手順は、1)コンセプト(概念)の決定、2)大義名分を掲げる、3)プロジェクトスポンサーを決定、4)格式ある人物を総大将に担ぐ、である(p141)
・大きな川の下流の沖積平野に多くの人が住むようになったのは16世紀の戦国時代から、居住条件は悪く交通も難儀、下克上の基には、地位的的な生産力の向上があった(p169)
・朝鮮出兵は、その内実は成長社会から安定社会への転換時点で生じた一種のバブル弾けに対する対応(経済・軍事面から)であった(p171)
・江戸時代には、農産は健全だが、都市は不健康なブラックホール、つまり人口を呼び集めては死に絶える町であった(p177)
・好景気の明るい文化の時代の為政者が酷評され、不況と文化弾圧で暗い時代をつくったものが歴史に名を残すのは、記述者が下級武士階級であった(p188)
・1863年に徳川慶喜が京都に移住すると、首都機能が完全に京都に移った、老中も半数は京都、有力な諸藩の殿様も京都に集まった(p198)
・体制が崩壊するのは、1)その体制では治安が維持できなくなった場合、2)文化の破綻、でそれ以外(経済は関係ない)で体制が崩壊することはない(p208)
・西側諸国が苦々しい思いで官僚主導の日本を見ていたのは、中南米の軍事政権や中東の絶対王政を支持していたものと似ている(p232)
・浜口総理の生命を奪ったのは、不況ではなく軍縮、ワシントン条約での主力艦の削減、陸軍の4個師団削減(p251)
・人口が世界的に減少したのは、1)2~5世紀、2)13~15世紀、1)はエネルギー資源である森林の激減から物財生産の拡大不能、2)は寒冷化による疫病蔓延である(p285)
・周囲の外国の軍事力を意識しなくても良いほどの世界統一国家は、モンゴル国(13,14世紀)と現在のアメリカのみ(p299)
・モンゴルとアメリカの類似点は、1)多文化の許容、2)軍事戦略思想(大量報復)、3)経済である(p306)
2011/1/1作成