・ 奈良盆地に出現した「纏向遺跡」は、180年から350年頃に栄えた大規模な都市 集落 と見られている。纏向 を本拠地とする 政権は、 三輪山(桜井市)の神・ オオモノヌシ を信仰した。 同地の大神神社は、三輪山をご神体とするため 本殿が存在しない(p41)
・ 5世紀に、讃(厦中、仁徳、応神)・珍(反正、仁徳)・済(弁恭)・興(安康)・武(雄略)と呼ばれる倭(ヤマト政権)の五王が、合計10回中国南朝の宋に使いを送った(p48)
・国生みによって生まれた島は「古事記」と「日本書紀」でわずかに異なるが、淡路島は両者とも1番目とされている、本州は日本書紀では2番目だが、古事記では最後(8番目)とされている(p57)
・ オオクニヌシを祀る主な7つの神社、氣多本宮(石川県七尾市)、大前神社(栃木県真岡市)、大国魂神社(東京都府中市)、大神神社(奈良県桜井市)、氣多大社(石川県羽咋市)、出雲大神宮(京都府亀岡市)、出雲大社(島根県出雲市)(p63)
・仏教の受け入れを巡り、大和政権内は揉めた、 蘇我稲目が「 わが国だけが拒絶するわけにはいかない」と受容を 進言すると、物部尾輿と中臣鎌子は「外国の神を崇拝すれば、我が国に古来の神の怒りを買う」と真っ向から反対した。この意見の相違には、渡来人と結ぶ 開明派の蘇我氏と、神祓を司る 旧知派の物部氏という政治的立場の対立 もあった (p80)
・ 飛鳥時代の仏教寺院(伽藍配置)として、飛鳥寺(法興寺・奈良)・法隆寺(斑鳩寺・奈良)・四天王寺(大阪)がある(p85)
・645年、 初めて年号を設け「大化」としているが、 年号が定着するのは、天武朝 以降である(p106)
・ 律令制では、五畿七道(五畿:大和、山背、摂津、河内、和泉、七道:東山道、東海道、北陸道、南海道、山陰道、山陽道、西海道)と呼ばれる 行政区が整備され、国・郡・里の地方行政組織が設定された。国には中央から原則として 任期6年の国司が派遣された。国司が政務を司る場所が国府であり、 平城京を模した 威厳のある建物が整えられた。郡は50戸から成る「里」のいくつかで構成され、そのトップが「郡司」である、郡司は終身制で 原則として在地の豪族層、国造の子孫から選ばれ、租税徴収などを役割とした(p136)
・律令制による班田収授法では、口分田が支給される。 収穫量の約3%、1段あたり 2束2把の稲を収める「租」が課せられた、他には布などを納める「 庸」土地の物産などを納める「調」労働力を提供する「雑よう」兵士の「徴用」もあった(p138)