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図解!江戸時代 意外と住みたい?この町と、この時代! (知的生きかた文庫)

図解!江戸時代 意外と住みたい?この町と、この時代! (知的生きかた文庫)の写真

・江戸市街地の総面積のうち、町地はわずか14%、大半は武家地・寺社地であり、町人たちは過剰な人口密度のなかで生活を営むことを余儀なくされた(p26)

・関所は全国に50か所以上設置された、箱根関所は東海道を通行して江戸に入るときの最大の関門であった、手形には、往来手形(男性)、および関所手形(女性と武器を運ぶ男)があった(p35)

・上屋敷(江戸における本部)の面積の上限は、幕府によって、大名の石高別に決められていた、旗本も同様(p52、54)

・不定時法とは、日の出を明六つ(午前6時ころ)、日没を暮六つ(午後6時ころ)として、その間を六等分して、昼の一刻とした(p62)

・金貨と銀貨は商取引の際に用いられた、江戸では金貨、大阪では銀貨、銭貨は庶民が使用した。1両=4分=16朱=60銀匁=4000-10000文(p69)
・金1両は、現在の価値で10-15万円、1文=25円程度(p72)

・1675年まで、庶民は駕籠にのることは禁じられていた(p78)

・長屋へ通じる路地や各町の境には「木戸」が設置されていた、木戸は明六つに開いて、夜四つ(午後10時頃)になると、閉ざされた(p108)

・享保の改革の一環として、町奉行:大岡忠相が、1718年に「町火消」、隅田川以西の町を48に分けた、以東は16に分けた(p117)

・吉宗の時代に、飛鳥山、隅田川の堤、御殿山などに桜が植樹されて、庶民も花見を楽しめるようになった(p126)

・江戸近郊の、葛西・岩淵・戸田・中野・品川・目黒、の6か所を鷹場に指定した(p146)

・徳川家康が幕府を開いたころは、183家の大名、その後分家等により、1664年には225、幕末には266家まで増えた(p150)

・旗本のなかで能力により出世が期待できたのは、書院番・小姓番という、将軍の親衛隊的番士であった(p174)

・武士には門限が定められていて、子の中刻(午前0時)前には必ず家に戻っていなければならなかった(p180)

・隠居は70歳を過ぎていれば許された、また、ちょんまげが結えなくなっても隠居した。(p185)

・江戸のファーストフードとは、天婦羅・だんご・いか焼き・寿司・そば・しるこ、1804年には江戸市中に6165軒あった(p209)

・吉原では、三度目にようやく「馴染み」となった、庶民たちが行ったのは、品川・千住・内藤新宿・板橋の江戸4宿をはじめとした岡場所であった。深川が賑わっていた(p227)

・幕府の法により、婚姻届は不要であったが、離婚には離縁状が必要であった。離縁状なしに女が再婚した場合は、重婚罪・姦淫罪に問われた(p230)