・硫黄島では日米あわせて2.7万人の兵士が亡くなった、日米合同慰霊祭が毎年3月14日に実施、世界中で戦った双方が合同で行う慰霊祭はここのみ(p21)
・海軍兵力には二乗均等の法則が適用されるので、ワシントン軍縮条約で戦艦・空母が米英5:日本3になったことは、戦力比は25:9ということになる(p30)
・日本は戦争が始まっても空母を殆ど造らなかった、アメリカは昭和18年ごろから最新式空母が続々と造られた(p43)
・日本はサイパンから飛び立つB29を1000機撃ち落しアメリカを驚かせた、1機製造に当時で60万ドル以上かかったから、航続距離の短い戦闘機P51を護衛につけるために硫黄島攻略を決定した(p48)
・硫黄島上陸3日目にして、戦死者;644、負傷者:410、行方不明者:560人であり、ノルマンディー上陸作戦での死傷者数を上回った、これは第二次世界大戦でアメリカ軍が行った全ての戦闘の死傷者数よりも多かった(p99)
・2月21日に木更津から発信した特攻隊21機(艦上戦闘機、艦上攻撃機、艦上爆撃機)は、空母サラトガを大破、空母ビスマルクを轟沈するという成果をあげた(p101)
・3月26日に最後の組織的な総攻撃があった、ゲリラ隊を指揮した武蔵野大尉が捕らわれたのは6月11日、最後の生き残り2名がアメリカ軍に投稿したのは4年後の昭和24年(p116)
・日本側の戦傷者:20933(死者:19900)、アメリカ側:28686、海兵隊:19920(死者:6821人、海兵隊:5931)であった(p116)
・硫黄島での凄まじい戦闘は、アメリカでは殺戮を目の当たりにした従軍記者によって瞬時に報道された、日本の大本営発表とは大違い(p123)
・緒戦において、米太平洋艦隊および英東洋艦隊も全滅した、ミッドウェーではアメリカが勝利したが、南太平洋海戦(ラバウル、サイパン・テニアン)では全滅させられたことは、アメリカ人には信じられないことであった(p126)
・硫黄島、沖縄戦により、九州上陸作戦は取りやめになった、本土決戦をせず戦後の日本にとって有利な日米安保保障条約を結び高度経済成長の繁栄に結びついた、一種の神風である(p128)
・アメリカの原爆投下によりソ連の発言権が全く無くなった、ソ連が北海道領有を主張したがアメリカに直ちに断られた、原爆により日本はアメリカにのみ負けたことになり、ドイツの4カ国統治とは異なり、アメリカのみの占領となった(p136)
・ハルノートには無理難題が書いてあったが期日が書いていなかった、これは最後通牒であるはずがない(p147)
・敵機64機を撃墜した”坂井三郎飛行士”は、アメリカの宇宙飛行士である”アームストロング船長”とともに「空の英雄20傑」に選ばれていて、今でも敬意を表されている、日本での扱いとは大違いである(p159)
・共同体とは、内なる規範と外に対する規範が異なる社会のことを言う、例えばユダヤ人の社会である(p167)
・戦争を収拾した鈴木貫太郎首相は、日清戦争から実践経験を積んでいて、連合艦隊司令長官、軍令部長も経験していた人物、彼の功績は日本の統治機構、国旗、国家、通貨、菊のご紋(天皇)も残した功績がある(p172)
・アメリカは硫黄島、沖縄のような激戦地を全て日本に返還している、これは世界史上まれなことである、戦勝国が敗戦国に領土を返還することは珍しい(p173)