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「坂の上の雲」に隠された歴史の真実 明治と昭和の虚像と実像

「坂の上の雲」に隠された歴史の真実 明治と昭和の虚像と実像の写真

・日露戦争で日本が露に勝てた勝因は、国全体に合理主義的精神が満ち溢れていて、国家体制が柔軟だったから(p18)

・旅順攻防戦において肉弾攻撃をしたイメージがあるが、実際には、強襲法(味方の砲兵の火力で敵陣地を叩いてから、歩兵が突撃)で、第一次世界大戦では各国がこの戦法を採用したが多くの死傷者を出している(p23)

・1918年3月に締結されたブレスト条約では、ソビエト政権は、フィンランド、ポーランド、バルト地域を含む広大な領土をドイツに割譲し、60億マルクの賠償金を支払った、これは無条件降伏に近い(p51)

・第一次世界大戦は長期化するにつれて、軍需産業に向けて国民を総動員する国家総力戦になってきた、マルヌの会戦のみで日露戦争における全爆薬消費量となった(p53)

・ドイツ軍の戦法は、エリート将校が常に先頭となって部下を指揮するものであったので、彼らが殆ど戦死したり負傷してしまい、1918年6月のパリ陥落寸前が限界であった(p54)

・ドイツはロシア降伏後に、50個師団100万人を占領地に残す必要があり、連合軍の反撃に対応できなかった(p55)

・ドイツは総動員数4500万人の連合国軍を相手に、1914年8月から1918年11月まで戦い、広大な領土を占領したまま敗れた(p56)

・賠償金である320億マルクは、現在の貨幣価値にすると、660兆円になる(p62)

・ナチスのユダヤ民族大迫害は、紛れもなく中世から近世にかけての魔女狩りが形を変えて現代ヨーロッパに再現したもの(p76)

・ナチスによるユダヤ人大迫害が起きるまでは、ドイツではユダヤ人迫害は比較的少なかった、イギリス、フランス、スペイン、イタリア、ロシア、東欧諸国も、ユダヤ人に対する差別、迫害を行ってきた歴史を持つ、最大の迫害をしたのはロシア(p76)

・世界大戦の降伏の仕方で日本(第二次)とドイツ(第一次)の共通点は、敗戦時点で領土を占領したまま、自国の領土は占領されていない、相違点としては、日本では連合軍が進駐して、占領統治(社会改革、戦争裁判)をしたがドイツではされていない、ドイツが断固拒否したから(p83)

・ドイツは、科学技術力と工業生産力によって、ヨーロッパ相手に貿易を行って利益を上げる最も効率的なシステムが構築されていて、植民地は不要であった(p86)

・1927年にはドイツの生産力は大戦前の水準に回復して、29年にははるかに凌駕した(p87)

・ナチスの政策によって国民生活は驚異的な向上をした、経済建設は進み、産業界は合理化され、労働者の完全雇用も達成された(p95)

・ノモンハン事件における死傷者は、ソ連:2.55万人、日本:1.74万人であり、ソ連のデータには同盟軍のモンゴル軍の死傷者は含まれない、8月20日(2ヶ月経過)までは、3万に満たない日本軍は、23万のソ連軍を相手に戦っていた(p133)

・ソ連軍では、背後に督戦隊が控えていて敗走してくる味方の兵士を射殺したり、焼き殺したりしていた、小銃弾は専門の狙撃兵以外は持たせなかった、これはチンギスハーンが征服した地域住民を最下層の兵として最前線で戦わせる戦法と同一(p138)

・戦力二乗の法則(2倍の兵数の敵を相手にする場合、実質的な戦力差はその二乗の4倍)によれば、ノモンハンでは日本軍は10倍の相手であったと考えると適用不可(p144)

・ヨーロッパの王国では、革命や敗戦があると、国王が外国へ亡命するのは常識、唯一の例外は日本の天皇か(p169、172)

・日本は不平等条約を改正するのに半世紀の努力をしたが、中国は1920年代に「革命外交」により、一方的な宣言によって日清戦争以降の条約を破棄した(p218)