・数ある戦国大名の中で、どのような税金をどのような基準で取っていたかを具体的に知ることができるのは、北条家のみ(p34)
・信長の鉄砲装備率は15%程度、根来衆と雑賀衆は20%程度、長篠の戦いにて使われた鉄砲は、確実な史料では1500挺プラスアルファ(p36)
・戦闘員が全体の兵士数に占める割合は50%程度(p39)
・騎馬武者は明治維新までずっと存在していた、原則として一定の地位、身分にある者だけ(200石以上)が乗馬することが前提(p56、59)
・北条家の戦闘員の内訳は、槍:35%、騎馬:21%、鉄砲:11%、弓:7%、旗:7%、指物:5%等(p65、66)
・鉄砲の普及後に軍装が派手になった理由は、戦場の硝煙(白煙)の中で敵味方を識別するため(p93)
・火縄銃の場合には、安全管理の必要から鉄砲兵は前後左右をかなり空ける必要があった、鉄砲兵を密集させて使うこと(隙間なく並べること)は無理(p132)
・戦場における騎馬の用途は、概ね追撃か、逃走に限られる、三方原の戦いにおいて徳川勢は緒戦は下馬して戦ったが敗色濃厚となると馬に乗って逃げた(p143)
・明国軍は、馬軍・歩軍ともに、5人を伍、12人を隊、3隊を1旗、3旗を1哨、3哨を1司、2司を1部、2部を1営とするという整然とした編成をとっていた(p149)
・戦国ドラマで、軍隊の行進する場面で、完全武装、旗持ちが旗を揚げて整然と隊列を組んだシーンが見られるが、あれは実態ではない(p151)
・日本人が戦闘にあたって依存することの大きかった武器は、古代から戦国前期までは弓矢であり、刀や槍でない、後半になって鉄砲がメイン(p158)
・仮に合戦で戦死者が1000人でたとすると、侍分は多くて1割、残りは足軽、旗持ち、具足も付けない雑人が多かった(p192)
・20世紀初頭くらいまでは、どこの国でも銃砲弾で倒れた者よりも、疾病で死んだものの方が多い、少なくともボーア戦争(1899-1902)までは続いている、日清戦争では、戦死者1417人に対して、戦病死者は1万人以上、日露戦争でも発疹チフスでの死亡が多い(p223)
2010/08/22作成