・万延小判(小型で金含有量の少ない小判)は海外に持ち出して銀貨に交換しても儲けが出ないので、この小判の発行(1860年)により日本からの小判の流出は収まった(p3)
・藩ぐるみの贋金づくりに対しては、明治2年の5月(函館で幕府軍が降伏したとき)までに終わっていれば不問とした(p23)
・贋金をつかまされた日本人に対して、政府は明らかに外国人とは異なる対応をした、外国人には金貨と引き換えたが、日本人には紙幣(太政官札)と交換した(p30)
・東京が金、大阪で銀が出回っていたのは、現代風には、日本国内で「円」と「ドル」が流通していて、日々、換算率が異なっていたようなもの(p38)
・旧金貨銀貨の通用が禁止されたのは、維新から7年後の明治7年(1874年)9月5日、9月9日から政府は旧金貨銀貨の価格を円表記で公表した(p47)
・明治天皇の肖像画が貨幣に使われなかったのは、機先を問わず日常的に汚れた手で触れる貨幣に、尊い天皇の肖像が刻まれるのは耐え難いということから(p82)
・1円金貨が、アメリカ金貨1ドルに交換されるものとして、国際通貨「円」が「金本位制」のもとに、明治4年5月に生まれた(p87)
・戊辰戦争の2年を通じての戦費は、円換算でおよそ479億円(明治元年の年間歳出額の11%)であった(p96)
・明治4年7月(廃藩置県)の時点で、藩札を発行していた藩は244(全体の8割)、銀札、銭札、金札が発行されていた(p100)
・民間であるのに国立銀行といわれたのは、「国法に基づくもの」という意味(p137)
・明治10年の米相場から考えると、1円=8431円ほどになる(p151)
・新貨条例では金本位制がうたわれたが、開港地では銀貨も通用する金銀複本位制であった(p186)
・日清戦争勝利で、金貨による多額の賠償金を得て、明治30年(1897)に貨幣法を交付して、金本位制に移行した、これにより発行紙幣は金貨と引き換えることが可能になった(p198)
2011/5/2作成