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summary

誰も書かなかった「反日」地方紙の正体

誰も書かなかった「反日」地方紙の正体の写真

・地方紙の記者は地元にだけいて名士扱いされるのでインテリのつもりでいるが、彼らの権勢は飽くまで地域限定である(p17)

・全国紙の社説と地元紙の社説を比較することはあるが、地方紙の社説を地域をまたいで読み比べることはない、これが盲点で、それらが似ていることが多い(p18)

・夫婦別姓の法案(民法改正)は、新進党で反対論が続出したことが法案提出を断念させた大きな原動力となった(p24)

・数紙の新聞を読み比べることは少ないので、一般の人は特定の政治的傾きをそうとは知らずに受け入れてしまうことになる(p39)

・共同通信が加盟社である地方紙に向けて、社説を書く際の参考資料として「資料版論説」を配布している(p43)

・かつては新聞も鮮度が勝負であり、配送時間の問題から全国紙は地方紙の敵ではなかったが、現地印刷の普及、交通機関の発達により、両者のライバル関係は次第に強まってきている(p47)

・加盟120紙の総発行部数は、5000万部とされる、そのうち半分以上は中央ニュースを共同通信に頼る地方紙があるので、地方紙はやがて事実上の「共同新聞」になる(p49)

・共同通信は、公益法人として新聞、テレビなど様々なメディアを支える裏方のような役割を持ったニュース供給メディアである(p74)

・地方紙はおおむね県庁所在地に本社を構え、県庁に手厚い取材部隊を置く、郷土のニュースをどこよりも速く、手厚く詳しく報じることを全国紙と競い合う(p75)

・平成21年4月に北朝鮮がテポドン2号ミサイルを打ち上げた時は、日米安保条約の5条の「共同対処」の最初のケースであったが、日米により対処の仕方が異なった(p157)

・地方紙が朝日新聞とともに犯した過ちは、検定中に扶桑社教科書の白表紙本の内容と検定経過を報じて、それを社説で論じたこと(p171)

・文部省の検定によって日本の華北への「侵略」が「進出」に書き換えられたとマスコミが報じたが、この事実はなく、全マスコミの誤報であった(p188)

・新聞を読まないことのメリットは、赤の他人の編集者が選んで送り届けてくるテキストや知りたくもない情報から不必要なストレスを受け取らずに済むこと(p220)

・8月15日は日本と連合国との戦闘行為が終了した「停戦記念日」であり、戦争状態が終了したのは、講和条約が発効して日本が主権を回復した1952年4月28日である(p224)

・1951年5月3日のマッカーサーの発言は、日本にとっては東京裁判の無効宣言に等しい(p245)

・日本の敗戦から数年の間、戦犯追及や公職追放によって、それまでの企業等の幹部はすべて職場から消えてしまい、そのポストを下級者等が、何段跳びもして占めた(p247)

・満州国は公務員たちの夢を地上にかなえた楽園であった、東京政府から歳入が補てんされるので、官僚天国だった(p267)

・自動車会社のアッセンブリー用ロボットは、GMで1961年に実現したのが最初で、日本メーカは米国製ロボットの模倣からスタートとした、米国では組合が強かったり、経営者に長期投資が許されなかったり等で普及を遅らせる条件が多かった(p270)

・新聞がなぜ命脈を保ってきたかは、折り込みチラシや「景品の力」である(p278)

・東日本震災で既存の権威が各方面で失墜している、庶民は底力があることが分かったが、学識経験者は無いことが分かった(p285)