・陸前・陸中・陸奥を総称した三陸と呼んだのは、明治29年(1896)6/5の、岩手県沖でM8.25で発生した地震において発生した津波が「三陸地震津波」と採用されたことに始まる(p26)
・関東大震災時には、横浜市はじめ東京湾岸から相模湾岸にかけて津波が来襲、津波の高さは熱海で12メートルを記録(p30)
・今回津波の被害を受けた浪江町一帯はかつて津波が作った潮入りの湖沼の跡だったと思われる(p44)
・蔵や倉は、動詞クルが名詞化した語で「地面がえぐられたような地形」に使われたケースが殆ど福島第二原発の立地している地籍:波倉は危険な地名(p45)
・鎌倉という地名は倉庫にも蔵屋敷にも関係ない、関東大震災の津波に何度も襲わて続けて作られた釜状の穴倉である(p48)
・鎌倉大仏は初めは木造仏として高徳院境内に建立されたが、のち大風のため破損して、1252から金銅仏として改鋳、室町時代の1498に大地震で大仏殿が倒壊、津波で流されたため今日に至る(p51)
・日本の河川名は、一級(国土交通省)、二級(都道府県)、準用(市町村)、の他に河川法適用外の普通河川に四分される(p57)
・台帳記載以外の田を「余田」という、これが公認されると加納あるいは、加納余田、加納田と呼ばれる(p66)
・宮城県女川、福島県いわき市小名浜のオナ(ヲナ)は、雄(男)波のヲ・ナミを下略して津波を「ヲナ」と呼んだ名残と思われる(p79)
・幕藩時代には市街地を守るため農村部を犠牲にする施策はいくつもある、小名木川東端の西葛西領、東葛西領等、江戸では浅草の北西、山谷堀の南西側の日本堤など(p89)
・関東大震災でも、「品川湾に海嘯、隅田川は逆流」という新聞報道あり、東京湾内でもM6.5-7クラスの地震及び津波が発生している(p91)
・寛政3年旧暦8月の地震では江戸深川一帯が津波に襲われ、洲崎弁天社周辺が水浸しになり、幕府は付近の家屋建築を禁止して、両脇に津波警告の石碑を建てた、これは関東大震災・東京大空襲で損傷したので、現在は洲崎神社内に建てられている(p93)
・芋は古くは「ウモ」と発音された、そのウモとは「地中に埋もれた」という意味に他ならない(p128)
・昭和55年(1980)8月14日、富士山近くの久須志ヶ岳から大岩が二度にわたり剥離・落下して夏富士登山で賑わう吉田口砂走り下山道を直撃して、死者12名、負傷者32名という大惨事が起きた(p162)
・江戸前期から酒造業で盛んになった「灘五郷」は、東から、今津郷・西宮郷・東郷・中郷・西郷である(p170)
・関東大震災の被害は都市の規模に比例してではなく、神奈川県下一円のほうがはるかに大きかったということが調査でわかった(p211,213)
・関東大震災の本震が起きたすぐ後に、神奈川県横須賀市沖でM6.6、東京湾央でM7の地震が起きていたことは殆ど知られていない(p246)