・歴史を知るとは、時空を超えて偉人を「友達」にできること、悩んだときに無料で相談にのってもらえる(p6)
・秀吉はいつでも「いま、ここ」に全力投球であった、自分ができることを精一杯した結果、まわりから応援されて、次々と扉が開いて、いつのまにか天下人へと運ばれていった(p19)
・無理やり目標を作らなくていい、無理やり自分の人生を創りださなくて良い、目の前のことをひとつひとつ大切にする、という気づきが生きることに対して安心感が生まれる(p21)
・伊能忠敬は幕府から認可を得たが、援助は20両(160万円程度)、それ以上の費用は自費で賄うように言われた(p29)
・伊能忠敬の弟子たちは彼の死を隠して、「大日本沿海よ地全図」を完成させた、3.6万分の1の大図214枚、21.6万分の1の中図8枚、43.2万分の1の小図3枚というもので、幕府の重鎮に報告した3か月後に彼の喪が公表された(p32)
・夢に生きるとは、目の前のことをすべて受け入れ、そのときにできる小さな一歩を踏み出し続けること(p33)
・黒船来航から6年の間に、薩摩・佐賀・伊予宇和島の3藩すべてで黒船を完成させている(p40)
・歴史は、出来事を中心に考えるとあまり面白くないが、人と人とのつながりを辿っていくと、興味がわく(p49)
・夢は自分が実現したいもの、志は「自分が実現できなくても、他の誰かが代わりに実現してくれたら、それでいいと思えるもの」、志とは、個人の夢を超えた想い(p50)
・福沢諭吉の人生から思うことは、与えられた環境こそが、実は自分という種を活かすには最高の土壌(p55)
・誰かから受けた恩を、別の人に送る、これは「恩おくり」と呼ばれ、江戸時代では普通に行われていた(p61)
・正しい、正しくないって、時代や地域、文化によっても大きく異なる、正しい・正しくないかではなく、楽しい・楽しくないかでもなく、「粋か野暮かで幸せを決めてみる」(p67、69)
・人がすれ違う時に、お互いが右肩をスッと引く、これは肩と肩がぶつからずにすむ「肩引き」と呼ばれる所作、雨の日に相手の足元に傘のしずくが落ちないように、傘を外側に傾ける「傘かしげ」も同様(p73)
・18世紀初頭の江戸には100万人が住んでいた、町人は町全体の5分の1ほどの地域で、ひしめきあって暮らしていた(p74)
・戊辰戦争とは、薩摩・長州藩の新政府勢力と、会津・庄内の徳川幕府勢力の戦い、負けた庄内藩には、西郷隆盛を神様として祀った南洲神社(山形県酒田市)がある、庄内藩を戦った敵ではなく、新しい時代の同胞として遇した西郷の誠実な態度に庄内藩が感動したから(p83)
・日本人の労働観は全く異なる、日本では神様が自ら働く、しかもその労働は、特殊な知的労働ではなく、当時の日本人がやっていたのと同じ仕事(p98)
・日本が戦国時代から江戸初期にかけて、金・銀の輸出国になれたのは、産出技術に加えて加工技術も世界最高であったから(p112)
・日本人は火薬の使い方を知りながらも、石の採掘には使わなかった、それは自然こそが神様であったから、火薬は「花火」に使った(p115)
・一番身近な妻に対しても、いいところを見つけて照れずに言葉にして褒めてあげる、すると女性は魅力が引き出されて、どんどん輝く(p125)
・石田三成は、秀吉に敗れた島津家の財政を救うために、経理技術(複式簿記に近い)を教えた(p130)
・戊辰戦争のときに、徳川幕府を裏切って新政府軍についた藩は、関ヶ原の戦いのときに家康に減封されている藩である、260年前の恨みが起爆剤となって明治維新が起きる(p130)
・人から信頼される方法は、まず自分から先に信頼すること、人間関係は鏡の関係、嫌えば嫌われるし、信頼すれば信頼される(p144)
・1890年(明治23)のエルトゥールル号の遭難を和歌山串本町の人たちは飢えをしのいでいる状態にも拘らず、助かった69人を助けた、そのお返しに1985年のイラン・イラク戦争でイランに残された日本人をトルコが助けた、1999年8月にはトルコ大地震に対して日本政府は様々な援助をした、2011年3月にはトルコからの援助あり(p191)
・困難に挑むとき、あなたの心は「それはムリだ」と思うことはあっても、あなたの体や遺伝子はそう思っていない「それくらい余裕だぜ」と思っているはず(p198)
・伊勢神宮では1300年前から式年遷宮の儀式が続いている、次の移転は2013年、費用は550億円ほどかかる、この20年という式年遷宮の周期で、日本が内向き文化を熟成させて、外側・世界に発信していく時期となる(p208)