・高句麗、新羅、百済の三国時代から李氏朝鮮時代の1895年まで、朝鮮半島で興った王朝は、すべて中華に君臨した王朝の属国であった(p19)
・女真人は万里の長城の外側にいた民族なので、清も中国にとっては異民族の王朝、ヌルハチの子供であるホンタイジはモンゴル人の国である北元と連合して、満州人と名前を改める(p22)
・イギリスから銀が流出するので、植民地であるインドで栽培したアヘンを中国へ輸出する、ついには、紅茶の代金もアヘンで支払うようになった(p30)
・清朝は、内外の諸民族との関係を、天領(満州)、藩部(半自治国:モンゴル、新疆、チベット)、朝貢国(朝鮮、ベトナム、シャム(タイ))、準朝貢国(ビルマ、ネパール)、見做し朝貢国(欧州国)、互市国(日本、東南アジア海港都市)と6つに分けていた(p33)
・清仏戦争、日清戦争、義和団の乱(北清事変)は、中国が朝貢秩序を保つために起こした懲罰戦争であった(p37)
・1886年、清朝海軍の主力北洋艦隊のうち6隻は、日本へ立ち寄って軍事力を誇示した(p52)
・北洋艦隊は、李鴻章が私財を投じた私的な艦隊であった、北洋艦隊を指揮していた外国人乗務員を人件費が高すぎるので大量解雇した(p62)
・1905年には、隋から1300年続いた科挙が廃止された、その代りに日本への留学となった(p67)
・清がアヘン戦争で払った賠償金は2000万両、日清戦争の賠償金は2億両、1892年の国庫歳入の3倍(p78)
・日中戦争の8年間で実際に日中の衝突が焦点になったのは最初の1年程度で、あとは、汪兆銘の南京政府(親日)、蒋介石の重慶政府(親米)毛沢東の延安政府(親ソ)による三つ巴が続いた(p105)
・1934年1月に満州国成立を通告した後、日本に続いて満州国を承認したのは、エルサルバドル、同年4月にローマ教皇庁、そして37年から38年にかけてイタリア、スペイン、ドイツ、ポーランドが承認した(p159)
・日本の満州移民が成功しなかった理由として、年間100万人も押し寄せる漢人の流民が多かったから(p166)
・日本が戦ったのは蒋介石の国民党軍、共産党軍は日本軍との戦闘を避けていた(p197)
・日中戦争の殆どの戦闘は日本軍が勝ち、中国側の死傷者は日本軍の10倍以上、司令官レベルの軍人がみな民族、国家に対するアイデンティティを持っていなかったことが原因(p201)