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戦後日本史の考え方・学び方 歴史って何だろう?

戦後日本史の考え方・学び方 歴史って何だろう?の写真

・たくさんの出来事から、ある出来事を抜出し、別の出来事と結びつけて説明することが、歴史である(p17)

・視点や立場が変われば、歴史のなかの出来事の呼び方が変わってくる(p23)

・戦後、アメリカ軍が主導権を持っていたが、中国地方と四国地方は、イギリス連邦軍(イギリス、オーストラリア、インド軍等)が駐留していた(p28)

・ポツダム宣言の受諾は8/14、8/15は放送日、9/2に降伏文書に調印であり、8/15の位置を強調しようという解釈がなされている(p35)

・終戦当時の人口は 7000万人、人口の1割程の600万人(兵隊・民間人)が日本に復員・引き揚げをした(p36)

・東京裁判で、戦争犯罪を行ったとされる期間は、1928.1.1-1945.9.2である、降伏文書の調印日を重視している、植民地責任は問われていないので、朝鮮・台湾総督府の責任者は問われていない(p38、41)

・最初の日本領土の占領は硫黄島、1945.3、アメリカ軍は日本軍守備隊を全滅させて占領した。その後、沖縄戦、ソ連は樺太・千島列島を占領した(p43)

・戦時中の食糧管理法により、政府の買い上げ価格は地主が売り買いする価格よりも上回ることもあり、地主がそれまで農村で持っていた力が急速に弱まった(p49)

・東条英機は戦況が悪くなっても徹底抗戦を唱えている、1944.7に辞職したことは、和平工作をしようとする人達が勢力を拡大してきたと解釈できる(p52)

・1948.10-1954.12まで、6年以上にわたって吉田内閣が維持された、その間にサンフランシスコ平和条約に調印した、同時に日米安保条約も締結した(p71)

・革新において、分れていた左派と右派が一緒になって日本社会党を結成、日本民主党と自由党の保守が合体して、自由民主党ができたのが1955年であり「55年体制」となった(p74)

・三種の神器が生まれる背景は、夫は工場に勤めて、妻は専業主婦になる、余暇が生まれて「将来設計」という考え方が出てくる、そして都市化が進んで「団地」がつくられる(p107)

・そのあとどうなったか、わかったところから歴史は語られる、つまり「いま」から逃げられない(p146)

・1947.5.2、日本国憲法の施行される前日に、大日本帝国憲法下で外国人登録令(最後の勅令)が出され、植民地にあった人々を外国人として扱われ、1952.4.28において外国人と登録された。これは、2012年に廃止されて、在留資格制度となった(p176)