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summary

資本の世界史

資本の世界史の写真

・近代的な資本主義が起こったのは1760年ころ、イングランドの北西部で、紡績工場主が織機や紡績を機械化することを思いついた時。これにより、史上初めて人間の労働力が技術によって代用され、それにより富が生まれた。「資本」とは、お金ではなく、生産を効率化するプロセスであり、技術上の進歩である(p9)

・資本主義は、実質賃金が上がる限り、安定して発展している。高い給料は成長を促し、会社を豊かにする(p10)

・1871年のドイツ帝国創設以来の人口統計データによると、当時も今も、貧しい人が短命で、裕福な人が長生きである(p15)

・今の西欧人は5世代前よりも、約20倍豊かになった。工業化の発展と関係がある(p17)

・生産の効率を高めるために貸付金を借り入れるという発想が、ギリシア人・ローマ人には全くなかった。安い労働力を使うだけで十分、資本家になる必要がなかった(p21、24)

・インド、中国人が生産する絹織物や宝石、香辛料は欧州上流階級が憧れる贅沢品であった。それに対して欧州人が提供できるものは僅か、ローマのガラス程度、交換となると唯一の製品である「銀」であった(p25)

・中国が成長に踏み出さなかったのは、それほど国力が優勢であったから。モンゴル帝国はすぐに崩壊、陸の交易ルートは閉じられたので、海を開拓する必要があった(p26)

・中国の役人の数が少なくて済んでいた(帝国の隅々に行きわたっていた)のは、文書のお蔭(p27)

・中国には巨大な灌漑設備があり、輪作も盛んで、耕地を休ませる必要なし。蒔いた種と収穫量の比率は、中世で1対10、欧州では1対4、中国に追いついたのは、20世紀(p28)

・中国の鄭和が1405年から7回(33年)に分けて行った海洋探検の船団は、317隻で3万人もの乗組員、1492年のコロンブスは3隻87人(p28)

・食料品や農業関連の素材が安くなり、ほかのもののためにお金を残せるようになって初めて、紡績工業のような新しい市場の発生が可能であった。変化が地方で始まったのは必然であった(p37)

・イギリスは1534年に教皇と縁を切り、みずからイングランド国教会の長になった。これにより全農地の約4分の1を管理していた修道院の所有地が没収され、下級貴族や商人に売られた。共有地も消えて私的所有地となった(p38)

・輪作への変化(1年間休耕するのではなく、クローブかカブを合間に植えると休閑期が不要)は、画期的なこと。1)一家を養うのに十分な穀物、2)駄馬、挽馬を働かせるためのエサ、2つの限界が解消された(p40)

・貴族が企業家として活動するのはイングランドならではである。欧州諸国では、公爵が市民階級の実業家のような振舞をするのは、あってはならないと見なされていた。イングランドでは長子相続権が厳然と存在していたので、貴族と平民の間は流動的。年上の息子だけが貴族の称号と財産を相続、他の子供達は全員、市民とみなされた(p43)

・インドよりも安い値段をつけるのに立ちはだかったのは、イギリスの高い賃金である。なので、機械が人間に取って代わるしかなかった。低賃金のドイツでは機械投入の価値がなかった(p45、47)

・資本主義を駆動するのは、低い賃金ではなく、高い賃金である。労働力が高いときにこそ、生産性をあげて、それによって成長を生み出そうとする技術的イノベーションが出番となる(p48)

・イングランドには、海に近いニューカッスルに大きな炭鉱があり、石炭をロンドンまで安く運ぶことができた。これが、ローマ人・中国人よりも有利で、石炭革命が行えた(p49)

・イングランドには、いちばん高い労働力(実質賃金が他欧州と比較して2倍高かった、p55)といちばん安いエネルギーを持っていた。この組み合わせは世界的に見ても比類ない事で、工業化がなぜイングランドで始まったかの説明になる。人間を機械で代用して利益をあげられるのはイングランドしかなかった(p50)

・イギリスの工業技術の専門教育がドイツレベルに到達したのは、1963年。工業を強化するよりも、商取引・海運・外国の事業投資に興味があった。1914年時点で、海外への直接投資全体の44%がイギリス、残りが、仏・独・米・ベルギー・オランダである(p67)

・資本主義が今日のような形をとって、100年が経過する。成熟した形になったのが、第一次世界大戦直前、少数の企業が市場を支配、グローバルに行動する、そしてそれら企業は、援助という名の国家の介入を当てにしている(p70)

・本当の意味での市場は、経済政策の対象とならない隙間分野に存在する。自営業者、職人、理髪師、飲食店経営者、建築技師、商店主等(p78)

・実質成長は、技術の進歩によってのみ可能、それは、技術の進歩がなければ資本主義は終わってしまう(p95)

・19世紀になって本来の意味での経済的グローバリゼーションが始まる、それは、蒸気船と電信(p113)

・汽船の運航や、スエズ運河の建設も革命的な効果、輸送コスト(イングランドとインド間)は、19世紀のうちに、単位当たり98%減となり、世界貿易が実質10倍となった(p114)

・世界経済が1913年のように再び絡み合うようになったのは、1970年代から、1989年をもって東側ブロックが解散し、中国が輸出に力を入れるようなったが、約80年ぶりに資本主義的な交換で一つになった(p116)

・1797年、イギリスの首相であるピットは、ポンドと金との交換停止に踏み切った。これにより純粋な紙幣本位制となった。有効期間はもともと6週間であったが、1821年まで24年間存続した。奇跡が起きたのは、ポンドが金による裏付けを失っても、価値が保たれた。それは、金によってでなく、その国のGDPで保証されていたから(p131)

・金融資産が増加すると、世界が豊かになったように見えるが、実際には不健康的。資産の価値は、毎年どれだけの利回りをもたらすかで計られる。その収益は現実のGDPからもたらせるべき、国民所得が伸びないのに金融資産ばかり上昇するといつかクラッシュする(p163)