・大日如来とは、7世紀ころに大乗仏教から発展した「密教」の信奉者たちが創造した宇宙神のこと、インド・アーリア人の最古の聖典(リグ・ヴェーダ)での最高神は、インドラ(帝釈天)である、その付属文献の、ウパニシャッドにおいて、ブラフマン(宇宙の根本原理)という絶対真理を考えるようになった、これを人格神化したのが、梵天である(p20)
・王族やバラモン(僧侶)は、字を習わなかった、ソクラテスと同じで、すべて口頭による暗記。字を必要としたのは商人(p34)
・ブッダは、まだ悟りを開いていない、だからまだ輪廻の輪から抜け出せなくて、輪廻転生を繰り返している(p53)
・魏志倭人伝において、距離が間違っていると考える学者(東大系)は、邪馬台国の比定地を、九州として、方角が間違っているとする学者(京大系)は、畿内とする(p63)
・多くの学者を悩ませ続けてきた「魏志倭人伝」に関する13の謎が、邪馬台国を東北岩手(八幡平:やまたい)とすることで、解決してしまう(p101、108)
・食糧としての家畜、家畜の血液の飲取、家畜への去勢技術、こういった、騎馬民族の文化が一切日本に入ってきていないので、騎馬民族による日本制服は無かったことになる(p104)
・天皇という言葉は、40代(673)天武天皇の死後に諡されたのが始まり(p122)
・聖徳太子が、笏(しゃく)を持って立っている絵はあるが、笏を持つのは大化の改新以降の風習であり、太子の時代よりずっと後に描かれたものである(p124)
・崇峻天皇は、592年、蘇我馬子により殺害された。馬子は処刑どころか、絶大な権力を手に入れた。これは天皇(大王)を出す家系は複数あったことを示唆する。天皇家が本当に一系になったのは、大化の改新以降の、天智天皇(668)以降であろう(p133)
・原住民系(日本)として、スサノオ・大国主、推古天皇・蘇我馬子・聖徳太子・蘇我入鹿がいて、滅亡し、渡来系(高天原)として、アマテラス・ニニギ・崇峻天皇・天智天皇がいて、今に至る(p141)
・607年遣隋使として隋の煬帝から預かった国書をなくしてしまったが、その国書には、蘇我稲目の本名が記載されていて、持統・藤原不比等にはまずいことなので、紛失ということにして焼いた(p154)
・一向宗とは、浄土真宗の別名で、悪人正機説の親鸞が起こした教団である(p180)
・桶狭間の戦いにおいて、織田軍は迂回せずに、正面攻撃している。佐々隼人・千秋四朗が、人数三百を率いて今川の大軍に攻撃をしかけている、その後に本戦が始まっている(p191)
・信長は、佐々・千秋の敗戦を見届けたうえで、今川の大軍に正面から進撃を開始する、これは死を覚悟の進撃、死に場所を求めての進撃だったのではないか(p194)
・官位と名乗るときは、口宣案(くぜんあん)という辞令を朝廷から受け取ることになっているが、信長は天皇に挑戦するように、口宣案を奏請することなく、勝手に、上総介と称した(p199)
・天正7年に、信長は、誠仁親王の第五皇子を猶子(相続権を持たない養子)にしている、正親町天皇が譲位すれば、彼が天皇になり、信長は天皇の父親という立場を手に入れられる(p200)
・信長の家臣は、信長から与力と称する直臣をつけられていたが、光秀の与力達は、予め信長の命令で取り除かれていた(p205)
・坂本龍馬は、寺田屋で幕府の役人を射殺しているので、殺人犯でもある。見回り組にとって、坂本龍馬を殺したのは暗殺ではなくて、職務執行となる。大政奉還で政治の実権を天皇に返したが、奉行所などの下部組織はそれまで通り機能していた。政治犯としての竜馬に対する手配書は生きていた(p216)
・おそらく西郷隆盛は、勝海舟に、後催眠をかけられていたのであろう、「かねてまた申し上げたこと」という言葉がキーワードになっていたかもしれない(p243)
・江戸城無血開城が終わると、「ええじゃないか」運動は、ピタッと終息した(p253)
・処刑されたイエス、イエスと売った罪の意識から自殺した、ユダの二人の人間が死んだのに、死体は一つしかない。つまり、一つの死体と、イエスの死体や、ユダの死体として使った(p266)
・イエスは固有名詞で、キリストが普通名詞であり、救世主という意味である(p269)
・イエスの犯した罪は、ユダヤ教の律法を冒瀆したこと、安息日に病人を癒した罪に問われた。エッセネ派であったイエスは、ユダヤ教のサドカイ派と、パリサイ派から攻められたかもしれない(p280)
・イエス一行がエルサレムに来たときに、すでに、イエスとユダが入れ替わっているかもしれない(p287)