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大東亜戦争は日本が勝った 英国人ジャーナリスト ヘンリー・ストークスが語る「世界史の中の日本」

大東亜戦争は日本が勝った 英国人ジャーナリスト ヘンリー・ストークスが語る「世界史の中の日本」の写真

・白人列強による世界支配を終焉させ、人種平等の世界の実現へと舵を切らせる歴史的偉業を果たしたのが、日本が戦った大東亜戦争であった。白人キリスト教徒の史観からすれば、白人キリスト教世界を覆した悪魔の所業であった(p3)

・大東亜戦争によって、大英帝国は消滅させられた。その犯人は、地球上の他のいかなる国でもない、日本だった(p17、23)

・アメリカは東京大空襲で、10万人をわずか数時間で焼き殺した。これは短時間で最大の犠牲者を出した攻撃としては世界史の記録。広島の原爆の犠牲者数を超える(p19)

・アジア諸国の独立は、数百年にわたりアジアを侵略し、植民地支配をしてきた欧米の宗主国からの呪縛からの開放、独立であった。その原動力となったのは日本(p20)

・日本は、1941.12.8、米英と戦端を開いた。東条英機首相の内閣で閣議決定し、正式な戦争名を「大東亜戦争」として、日本国内および全世界に発表した。(p24)

・香港で中国人は、日本人と戦ったのではなく、日本軍と共に、自分たちを奴隷のように扱って搾取してきた白人たちを攻撃していた(p35)

・日本の固有の歴史とは、他民族に侵略されたことがない、狭い島国で人々が他人を「慮って」生きてきた(p41)

・長浜氏による、「国民のための日本建国史」によれば、1)日本の文明文化は、大陸から朝鮮半島を通って日本に渡来したのではない、2)日本列島から朝鮮半島へ流れた、3)日本民族は、朝鮮人・中国人と遺伝学的に別な人種(p75)

・モンゴル帝国は連合国家を形成したが、14世紀になると次第に解体に向かった。モンゴル帝国の皇帝は1634年の北元の滅亡まで存続した(p96)

・ローマは、ケルト人を「ブリトン人」と呼んだ、この島が「ブリテン」の名を冠する由来。当時この地は「ブリタニア」と呼ばれた(p100)

・ポルトガルやスペインの大航海時代がなぜ西へと進んだかと言えば、東には強大なオリエント文明が存在していて、陸から東へ侵略することが不可能であったから(p110)

・15世紀に欧州諸国がアジアに魅了されたのは、香辛料であった。コロンブスはポルトガル王に西回り航路の探検を提案したが、すでに東回りルートで膨大な利益を上げていたので、拒絶された。そこでスペイン王の援助を受けて、インド(本当はアメリカ)に到着した(p111)

・メキシコ、ペルー、ボリビア、北アメリカから大量の銀が流入したことで、欧州の銀価格が下落、インフレが起こり物価が上昇した。商工業を営む資本家には有利であったが、定額地代を収入とする諸侯や貴族には不利となり没落していった(p122)

・大英帝国の発展で重要な役割を担ったのが、インドの植民地化と中国とのアヘン貿易であった。インドを担当したのが東インド会社、中国を担当したのが、東インド会社から派生した、ジャーディン・マセソン商会であった。アジア貿易の独占権をエリザベス一世から獲得、ジャワ島バンドン・インドのスラート・マレーのバタニア王国・タイのアユタヤ・日本の平戸(1623年に閉鎖)・台湾の安平に商館を建設した(p125、130)

・東インド会社は当初は出資により事業を行い、売り上げを全て出資者に還元していたが、1657年に、利潤のみを株主に分配し、その代わりに株主は総会を通じて経営に参加できる方式に転換された、株式会社方式の原点となった(p126)

・東インド会社は、イギリス・オランダ・スペインの他に、フランス・スウェーデン・デンマークも持っていた。1793年にオランダはフランスに占領され、オランダ東インド会社は1798年に解散(p127、130)

・1823年からは、イギリスは中国に対して、インド綿花に代わって、アヘンが清への最大輸出商品となっていた。輸入超過による銀の国外流出を防ぐために、イギリスはインドで栽培したアヘンを、清へ密輸出(1796年からアヘン貿易は禁止)する「三角貿易」を政策とした(p133)

・日本へのキリスト教の伝来は、ネトリウス派のキリスト教が、空海によって日本にもたらされている(p141)

・秀吉の側近だった大村由己(ゆうこ)は、伴天連追放令の目的は、日本人奴隷売買の禁止であった、と明確に指摘している、天正少年使節団は1582年に大友宗麟らの名代としてローマへ派遣され、ローマ法王に謁見、1590年に帰国した。行く先々で日本女性を見たとの報告あり。欧州各地で50万人。(p143)

・奴隷貿易に拍車がかかったのは、1452年、ローマ教皇ニコラウス5世が、異教徒を永遠に奴隷とする許可、を与えた。これにより白人キリスト教徒による奴隷狩りが始まった。約300年に渡る奴隷貿易で、アフリカから新大陸へ売られた黒人奴隷は1000万人から1500万人と推定されている(p147、148)

・リーカーンは1863年に奴隷解放を宣言したが、北軍側の奴隷所有州の奴隷は開放されなかったし、南部の連合国州はリンカーンの権威を認めなかったので、奴隷は開放されなかった。当初は北部に逃げ込んだ一部の奴隷だけが、開放された。(p151)

・1865年までにはケンタッキー州を除く、すべての境界州が奴隷制を廃止した、1865年にアメリカ連合軍が降伏すると、テキサス・オクラホマ州で解放された。修正憲法批准後に、ケンタッキー州でも解放された(p152)

・亀山社中は、武器や軍艦を薩摩藩名義で購入し、長州へ流すなどして、斡旋を通じて薩長の関係を修復した。西郷隆盛と木戸孝允の薩長同盟締結に貢献した(p170)

・西洋列強の帝国主義は植民地支配による搾取、日本が朝鮮半島や台湾、満州で行った統治は、本国からの持ち出しであった。アジアを植民地支配して日本を豊かにするのではなく、アジアを発展させることで白人列強にアジアの民族として対抗できるようになろうという戦略(p179、180)

・第三次日英同盟の、自動参戦規定に基づいて、日本は連合国として第一次世界大戦に参戦した(p187)

・日本代表の牧野氏は、国際連盟規約前文に、「各国民の平等およびその国民に対する主義を是認する」を入れるという議案を撤回する条件として、提案を行ったという事実と、採択記録を議事録に残すことを要請し、受け入れられた(p188)

・朝鮮人を日本国臣民として、少なくとも法律上は対等に扱った、こんなことは大英帝国の植民地で搾取にあう有色人種の「帝国臣民」には有りえない平等な扱いであった(p195)

・創氏とは、もともと朝鮮人が使っていた「本貫(氏族の発祥地を表す)と姓はそのままに、新たに家族名として「氏」を創ることができる制度」、改名は、従来の氏名を任意に変更できる制度、創氏は、6か月を期限とする届け出制、創氏をしても従来の姓はなくなることはなく、元来の姓・本貫はそのまま戸籍に残される。改名の期限はなくいつでも行える(p203)

・白人キリスト教徒にとって、キリスト教に改宗しない有色人種は虐殺対象であった、改宗すれば最下層の人間とみなされたが、そうでなければ奴隷か猿扱い、インド人も中国人もそうであった(p205)

・梨本宮家の方子女王が朝鮮の李王朝の皇太子と婚姻を結んだことは、日本と朝鮮が絆を深め、対等の関係にあることを象徴するためであった(p207)

・国際的に「侵略」が定義されたのは、1974年(国連安全保障理事会の決議により定義)、それより以前は、ある国の戦争を侵略と断定できない。従って、自衛戦争か侵略戦争かは、自己解釈権がある(p212)

・満州国は、国際連盟脱退の通告後に、多くの国が承認した。バチカン(1934.4)、サルバドル、イタリア、スペイン、ドイツ、ハンガリー、汪兆銘政権、ルーマニア、ブルガリア、フィンランド、タイ、デンマーク、クロアチア、ビルマ、フィリピン、事実上の承認を与えたのは、旧ポーランド、リトアニア、ノルウェー、リベリア、ドミニカ、ボリビア、ネパール(p219)

・満州事変、支那事変、なぜ「事変」かというと、日本はアメリカから石油を輸入、中華民国もアメリカから軍事援助を受けていた。宣戦布告すると日本では資源の輸入がストップされる可能性があり、中国も同様であったからお互いに宣戦布告できずに紛争となっていた(p225)

・日米戦争の直接原因は、1939年7月26日の、通商航海条約破棄の通告、であった。これは「準宣戦布告」であったと言える(p245)

・戦場となったアジアの国々を見れば、インドネシアとフィリピンこそ、オランダとアメリカの植民地であったが、それ以外(マレーシア、ブルネイ、シンガポール、ビルマ、インド)はすべてイギリスの植民地である。つまり、大東亜戦争の本質は、「英国&華僑」vs「日本&白人に支配されていて植民地アジア人」の戦いであった。しかも終盤まで、日本側の全戦全勝であった(倉山氏の本による)(p270)

・チャーチル以前の総理大臣は、程度の差こそあれ、反米派もしくはアメリカを完全に格下扱いしていた。ところがアメリカ人の母をもつチャーチルは、英米一体化を推し進め、情報機関の共有まで行った、イギリスをアメリカに渡した売国奴と呼ばれる所以(p271)