・水田稲作、青銅器、鉄器などに代表される文明が、日本においてなぜ北九州なのか、朝鮮半島南部に鉄があり、鉄や先進文化を輸入し、鉄製の農機具で農作業を行い生産性をあげたから(p9)
・古代の日本は朝鮮半島に積極的に軍事介入していたと思われているが、傭兵を送り込みその見返りに鉄や先進文化を得ていたのが実際のところであろう(p10)
・10世紀には温暖化し長江流域で二毛作ができるようになり人口が増えて1億人となり、宋では紙幣が流通する。宋を滅ぼしたモンゴル帝国は銀と紙幣で賄った。そのため大量の銅銭が日本に輸出されることになった(p16)
・清盛は京都ではなく福原にいたので京都の儀礼的権力に干渉されずにすむ、武家の軍事・警察権は別々となった。このアイデアを源頼朝が引き継いで鎌倉に幕府を開き、足利尊氏も鎌倉公方を置き、織田信長は安土、秀吉は大坂、家康は江戸に本拠地を置いた(p18)
・火薬には硫黄が不可欠だが、そのころの中国には硫黄が採れなかったので日本の硫黄に注目が集まった、これが日本における世界商品であった(p19)
・戦国時代の真っ只中、16世紀に日本発のもう一つの世界商品が席巻した、それは石見で採れた銀である。17世紀前半には世界の銀の3分の1を占めていた、これは江戸時代初めまで続いた(p20)
・アメリカは北部が工業国で保護主義、南部が農業国で自由主義であった。北部の製品レベルは大英帝国に追いついていなかったが、南部の綿花は大英帝国に輸出されていた。南北戦争で北部が勝利し、工業国を目指すことになったので、大きな市場が必要であった(p25)
・アメリカが大英帝国の向こうを張って中国市場に進出するには、太平洋航路を開くしかなく、クジラ漁の基地ではなく、中国市場を獲得する拠点となる日本を武力を使ってでも開国させる決意のもとに最新鋭の軍艦でやってきた(p25)
・文字による支配が始まったので、それまでの武力や古墳など目に見える力での支配から変わった(p51)
・藤原氏の影響力が及んだのは、天皇家だけにとどまらず、地方の有力武士団ん源流は、天皇家から出た源氏・平氏か地方に土着した藤原氏にある(p37)
・平安〜南北朝時代には、経済・文化両面で、遣唐使・遣明使の時代よりもはるかに頻繁な日中交流が海商や僧侶によって行われていた(p94)
・鎌倉武士の技能の第一は弓、弓騎兵がその本質であった。中世の主従は双務的で、無能な主人は家来の側から見捨てられた(p96)
・日本史において朝敵とされた者が勝った唯一の戦いが、承久の乱であり、その勝者の頂点にいたのは北条政子である(p101)
・一人一日3合のお米を食べるとして、1万人の兵を動かすと兵糧は一日225万円、1ヶ月で6700万円、馬や武器を考慮すると1億円以上かかる(p134)
・応仁の乱とは、西軍の山名氏、土岐氏、大内氏が、東軍の細川氏から幕政における権力を奪うために始めたと考えられる(p138)
・家康は大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼして完結するのではない、慶長7年に徳川名字・本姓源へ改姓し、羽柴名字・本姓豊臣から脱却したことである(p174)