・日本人とは、大陸と日本海を隔てるだけの近しさでありながら、日本海によって大陸の人々とは異なる特徴を身につけた民族であり、日本の歴史とは、そんな日本人が大陸とどう関わってきたかという歴史でもある(p5)
・3世紀になると翡翠は、朝鮮半島の鉄と交換するための主要な交易品となっていた、そのころの日本では、いくつかの有力な氏族が連合して大きなまとまりを持つ原初の国が成立していた(p19)弥生時代の日本はまだ鉄を生産できず主に鉄の道を通して朝鮮半島から運ばれて翡翠と交換していた(p63)
・航行中の揺れは、揺れの固有周期による、この周期が長いほど揺れが少なく乗り心地はよくなるが、揺れ周期と復元力は相反していて横復元力は小さくなる(p42)・邪馬台国が近畿の場合、関門海峡を通って瀬戸内海を航行する瀬戸内コースとなる、この場合には、投馬国は音が似ていることから、備後の鞆(広島県福山市)が有力である(p78)
・弥生時代の日本の人口は59万人とされているので、当時の人口の半分近くが邪馬台国に住んでいたことになる(p91)
・皆既日食と神話から推定すると、卑弥呼は247年に九州で没した、魏志倭人伝の皇帝からは、参院ルートで近畿に入った可能性が高い、邪馬台国は最初は九州にあり、卑弥呼の死後に東上して近畿の纏向勢力を併合したのではないか(p96)
・英国の海洋進出はスペイン、オランダ、ポルトガルの交易船を海賊船が襲うことから始まる、海賊投資家と言われたエリザベス1世は、当時の有名な海賊フランシス・ドレークにナイトの称号を与え、海賊たちは英国海軍に昇格する、英国の略奪行為にスペインは1588年無敵艦隊を出撃させたがアルマダの海戦で負ける(p100)
・ポルトガル商船の乗員が持っていた鉄砲を種子島時尭は2丁の鉄砲を2000両(現在の1億5000ー2億円)で購入した。鉄砲伝来からわずか8年で日本には30万丁の鉄砲があった(p102)
・玉鋼の製法により、刀の部分に粘土を塗り焼き入れすることで刀の部分や外側は純度の低い硬鉄で、内部と背の部分は純度が高い軟鉄でできているという、世界でも珍しい二重構造の刀剣が作られた、これにより細身で軽量でありながら、強靭という二つの長所を兼ね備えた日本刀は、接近戦では世界最強の武器と言われた。鎌倉時代の元寇の役では、蒙古軍を恐怖に陥れて蒙古撃退の一翼を買った(p106)
・16世紀初頭にスペインが大帝国を築くことができたのも、世界共通の国際通貨になっていた銀(ペルー、メキシコ)を手に入れていたため。銀産出の主役は、日本へ移った。島根の石見銀山、但馬の生野銀山、佐渡の銀山である(p113)
・秀吉は1592年にフィリピンを征服したスペインの総督に対して服属を要求している、そして行ったのが朝鮮出兵、文禄の役であった。秀吉の目的は、朝鮮の制服ではなく、スペインが明に手出しする前に明に攻め込むことで、東洋には日本という強国があることを見せつけるためであったという意見もある(p114)
・日本がロシア艦隊に完勝できたのは、東郷ターンによる丁字戦法の成功だっとは考えにくい、バルチック艦隊は石炭の洋上補給を強いられて疲弊、砲撃訓練は不足、石炭の過剰積載のまま決戦に突入、船底に貝や海藻が大量に付着、摩擦抵抗が大幅に増加していた、戦闘能力は日本の艦隊の2分の1程度であった(p215)
2022年5月28日読了