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新 地政学 世界史と時事ニュースが同時にわかる

新 地政学 世界史と時事ニュースが同時にわかるの写真

・1492年のトルデシリャス条約で、大西洋におけるスペイン・ポルトガル領の線引きがなされ、1529年のサラゴサ条約で、東南アジアに分割線が設定された、日本を縦断していて、西側がポルトガル、東側がスペインとなった、ポルトガルはスペインに先駆けて13世紀にムスリムの駆逐に成功して、海洋進出を行なった。西アフリカ沖の大西洋諸島を発見、交易を交易を開始した、求めたのは金と奴隷であった(p43)スペインは東回りでアジアへの開拓に取り組んだが、1492年にアメリカ大陸を発見した(p44)

・ポルトガルは1510年にインドのゴアを占領、翌年に東南アジアのマラッカを占領し、チョークポイントをイスラム商人に代わって抑えた。スペインはアメリカ大陸を見つけて世界地図に新たな土地を書き込んだ。南米大陸の南端のマゼラン海峡が発見され、スペインにもアジアへ至る航路が開けた、ポルトガルと衝突したので、1529年にサラゴサ条約が結ばれた、フィリピンは条約に基けばポルトガル領になるが、スペインが先取権を主張して認められた(p49)

・1623年にオランダが香辛料の産地だったモルッカ諸島からイギリス勢力を追い出す、アンボイナ事件が発生、イギリスは東南アジアから撤退し、インドの支配に専念せざるを得なくなった、イギリスはオランダを追い落とすために1651年「イギリスに物産を運ぶ時には、イギリス船ないしは当時国の船を使うこと」という航海条例を制定した、商船数で圧倒していたオランダ船を排除することで、その勢力を削ごうとした、これにオランダは反発し、三度にわたる英蘭戦争が発生した。これに勝利したイギリスは海上覇権を握っていった(p56)

・1701年にイギリスは、オーストリア・オランダ・プロイセンと同盟を結んで、フランス・スペインが帝国を誕生させないために、スペイン継承戦争を仕掛けた、1713年にユトレヒト城雨役(講和条約)が結ばれ、スペインからはジブラルタル、フランスからは北米のニューファンドランド、ハドソン湾を獲得した。何より大きかったのは、黒人奴隷をアフリカ大陸からアメリカ大陸へ運ぶアシエント(奴隷供給契約権)をフランスから譲渡されたことであった、これにより黒人奴隷を西アフリカから西インド、アメリカ大陸に運んでプランテーション農場で働かせた(p61)

・ナポレオン戦争の後に締結されたウィーン条約が維持されている間、欧州では大きな戦争が起きなかったので、イギリスはアジアにおいてはインド以東の支配に着手、1826年にはマラッカ海峡付近を植民地化した、その上で目をつけたのが中国市場であり、英・印・清間での三角貿易が本格化した、イギリスは清から茶・綿を輸入、イギリスからインドに綿布を輸出、インドから清にアヘンを輸出、これにより大量の銀が清からインドを経由してイギリスに流れた、この結果が1840年のアヘン戦争である、イギリスの清支配は、直接植民地化するのではなく「アヘンを売り込む」という自由貿易の体裁をとりながら、清を従属化させるというものであった(p69)

・第二次世界大戦は当初ドイツの優位に推移したが1941年にヒトラーは致命的な戦略ミスを犯した、シーパワーのイギリスと戦いながら、突如独ソ不可侵条約を破棄して、ランドパワーのソ連にも侵攻した、日本も同様のミスを犯した、大陸においてランドパワーの中国と戦いながら、太平洋でシーパワーのアメリカと戦うことになった(p86)シーパワーとランドパワーは両立できないことがセオリーである(p104)

・アメリカは太平洋戦争に勝利して太平洋の制海権を得たが、この海を完全に自国の内海にするには広すぎた、対岸の大陸にはソ連や中国がいた。そこでアメリカはかつての敵国の日本との同盟を選択した、日本に基地を置くことで有事の際には、すぐに現地に到着できる。日本は自国の防衛の多くを在日米軍に担ってもらうことで、防衛費を削減し、その分を経済政策に回ることができた(p108)

・冷戦終結によって、ソ連を構成していたバルト3国が独立したので、ロシアはバルト海に面する港の多くを失った、これに加えて国後島や択捉島を日本に渡せば、冬でも凍結せず、オホーツク海から太平洋に抜け出せる国後水道を失うことになりダメージが大きい。(p115)

・通常シーパワーの海洋進出は、拠点を抑えた上で、海に関しては公共のものとしてみなすことを重視する。広大な海を占有するためには莫大なコストがかかる、むしろ開かれた自由な海にしておいた上で、自由貿易を促進した方が得られる利益は大きい、中国の現在のやり方はランドパワー的な海洋進出で極めて異例である(p133)

・現在の中国には、内モンゴル・チベット・新疆ウイグル自治区がある、中国政府がウイグル族による抵抗を徹底的に弾圧している理由として、ウイグル族の独立を認めてしまうと、チベットや内モンゴルなど他の地域の少数民族の独立運動を刺激することになるから(p139)

・アメリカが超大国になれたのは、島であったことが大きい。島国の強みは、海が天然の要塞となり、他国からの直接攻撃を受けにくい、また大西洋と太平洋のどちらにも面していて、欧州とアジアにも影響を及ぼせる位置にいる(p145)

・アメリカが中東に介入し続けてきた理由、1)イスラエルを支援する、アメリカ国民の4分の1を占めるキリスト教福音派は熱烈なイスラエル支持者が多い、2)中東は地政学的にはリムランドに位置していてソ連の勢力拡大を食い止める必要があった、イランやイラクを支持してきた、3)中東に埋蔵されている石油資源、この理由のうち、二つ目は冷戦終結で、三つ目はアメリカ国内のシェールガス・シェールオイルの生産量増加により中東の依存度が落ちている、そのため以前と比べれば、中東に介入する必要性は減じている、その結果、アジア・太平洋地域を重視し、トランプ大統領は、アフガニスタン・イラクの駐留米軍を削減した(p159)

・東西ドイツの統一により巨大なドイツが再生することが懸念であった、これへの対処法の一つとして、かつてのように英仏が連携して食い止めることを当時のイギリスのサッチャー首相は主張した、だがフランスのミッテラン大統領は欧州を統合して一つの共同体を作り、その中にドイツを取り込むことでドイツの脅威を削ぐ案を提示した、これをドイツが受け入れたので、1993年に欧州連合(EU)が発足した。統一ドイツとロシアが結託してランドパワー帝国を築き上げるという脅威は封じ込められた(p168)

・ロシアが制裁による経済的ダメージを受けてでもクリミアに固執するのは、とりわけ黒海に面する不凍港・セヴァストーポリを死守するから、ここを失えば黒海は完全なNATOの内海になってしまう、国際ルールには反しているが、極めて地政学的な判断だと言える(p173)

・EUは製造業を中心に強い国際競争力を持つドイツに有利に働いた、ドイツにとっては低い為替レートで、しかも無税でユーロ圏内に製品を輸出することで莫大な利益をてにできたから、逆に南欧・西欧の貧しい国は、自国通貨を切り下げることで競争力を維持するという手段が、ユーロ導入により奪われてしまい、ますます苦境に陥った、これにコロナが追い打ちをかけた、観光産業(宿泊、飲食)が多いので経済格差がさらに進んだ(p176)