・国家間の対立を地理的な条件で説明するのが地政学である(p19)
・イギリスの政治難民、キリスト教の中の派閥抗争で、イギリスの王様を教会の代表と認める「イギリス国教会」と、そうではないという「ピューリタン=清教徒」で、聖書だけが正しいというキリスト教のグループがある(p41)
・アメリカにおいて共和党=白人=イギリスから渡っていった人達、彼らは基本的に共和党のバックにつく。民主党=移民、白人の後からきた移民で19世紀以降の新しい移民がメインである。イタリア、ユダヤ、ヒスパニック、中国系(p44)民主党は国内、福祉をやりたいので戦争は避けたい、それを支持するのが、金融資本・銀行・国務省、共和党は逆である、それを支持するのが軍需産業、国防総省(p75)
・太平洋戦争は中国市場をめぐる戦いであった、昔も今も日米関係は中国問題である(p65)アメリカでNo.2は国務長官、日本で言うと外務大臣(p72)
・日本では信長の鉄砲隊が武田の騎馬軍団を破った(16世紀後半)だが、中国では遅くてモンゴル系の遊牧民が最終的に潰されたのは、18世紀、清の鉄砲隊に負ける(p90)
・中国の中央政府はランドバワーなので商工業を抑圧する=海禁政策、これに反発した沿海部(浙江、福建、広東)の連中が日本と密貿易を始めたのが倭寇の実態である(p99)
・李氏朝鮮では識字率が低かったので、王様の世宗が学者を集めて朝鮮語を表す文字(ハングル)を作ったが普及しなかった、官僚たちが反対したので(p124)
・日本の鎖国とは日本が弱かったからこもっていたのではなく、ヨーロッパ列強が怖がって日本に近づけなかった。鉄砲隊があったから鎖国ができた(p133)
・モンゴルは史上最強のランドパワー、200年間ロシアは国がなかった、モンゴル帝国の一部であった、鎌倉時代から室町前半くらいまで(p158)
・スターリンはいわゆる二正面作戦を避けて、どっちかの正面に集中するという考え方、日本は全世界を的にした、中国と戦いながらアメリカと戦った(p166)
・ロシアの都はウクライナのキエフにあった、キエフ・ルーシという国であった、こればモンゴルに攻められて滅ぼされた、なので200年間ロシアという国はなかった(p186)モンゴルの支配が終わってモスクワを都にしたロシア帝国ができるが、これはモンゴルのコピーであった(p188)ロシアがウクライナを手ばさない理由、1)黒海への出口、軍港、2)食料自給のため(p189)
・バイデン大統領の息子ハンターバイデン氏は、ウクライナのガス会社の重役に迎えられ多額の報酬を受け取り、これがバレてウクライナ検察庁が捜査に入ろうとしたところで、バイデン副大統領がウクライナ大統領に電話して検事総長を辞めさせるという内政干渉を行なった、この結果米露関係が悪化していきウクライナ侵攻に至った(p195)
・イランはほとんどがシーア派、イラクの半分とサウジの東側がシーア派、そこに綺麗に油田がある、なのでサウジアラビアのシーア派馬独立運動を起こしてイランとくっつくと、ペルシア湾の石油をイランが抑えることになるので、サウジはシーア派を叩く(p270)
・オスマンとトルコは何が違うのか、トルコが民族名で、オスマンというのは王様のファミリーネームである(p203)
・日本がなぜ朝鮮半島を併合したか、それはロシアに対する防波堤であった、イギリスにとって、アフガニスタン・チベットは防波堤であった(p306)
・オサマビンラディンをアメリカは支援していた、アメリカがアルカイダに武器をばら撒いて、ソ連軍を追い払った、その次に中東の親ソ政権を通そうとしてイラクに向かったのが、湾岸戦争であった。(p315)
2023年8月16日読了