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summary

世界が語る零戦 「侵略の世界史」を転換させた零戦の真実

世界が語る零戦 「侵略の世界史」を転換させた零戦の真実の写真

・本書では従来の技術を中心とする「零戦論」とは違って、大東亜戦争で日本軍が西欧列強による「侵略の世界史」を転換させる上で、零戦がどのような役割を果たしたのかを検証し、また零戦が残した技術的、世界史的な遺産が零戦の日本と世界でどのように生かされているのかを検証している(p7)けして外国製の模倣によって生まれた戦闘機ではないことを検証している、この大戦は西欧の植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種の平等をもたらし、世界連邦の基礎を築いた、と英国歴史家ウェルズが述べている(p10)

・大正も末期になると海軍機の製作工場として、三菱のほか、中島飛行機、愛知時計電機が現れた。三菱は10式艦戦の経験を元に日本人技師の設計で完成したが、中島と愛知は外国の飛行機会社に試作を頼んだが、そののち、寿・光・紫型など空冷式発動機を開発、90、95式艦戦を量産した(p49)

・昭和9年頃までの海軍の戦闘機は、まだ非片持ち式の複葉機(速度が遅い)であった、当時世界の3分の2が単葉になっていたので、海軍は、三菱と中島に純国産の単葉戦闘機の試作を命じていた、これが昭和9年度試作の単座戦闘機、略して「九試単戦」である(p61)すでに実用化されて信頼性のある「寿二型改一」を装備することにし、このエンジンを搭載した六号機が「96式1号艦上戦闘機」として制式最奥され、通算約1000機が、三菱・佐世保海軍工廠・九州飛行機によって製作された(p68)新たに設計開発されたのが、12試艦上戦闘機(略して12試艦戦=零戦)出会った(p69)

・支那事変を通じて、96式4号艦戦は支那事変を通じて、海軍の主力戦闘機として、援護・防空・進攻・急降下爆撃・陸戦協力・偵察と万能ぶりを発揮した・これにより世界の兵術思想が一変してしまった、意甘mでは敵の航空戦力を撃破するには、攻撃戦で敵の飛行機基地を空襲し、敵機の基地で破壊するのが良いと思われていたが、この支那事変での航空戦で、敵の搭乗員を飛行機もろとも撃墜する方がずっと確実で有効なことがはっきりした、日本海軍は戦闘機を持って制空権を広げることが航空戦の基本であるという新しい兵術思想を世界に先駆けて導入した(p77)

・空戦性能に対して、長大な航続力、20ミリ機銃などの要求は、常識的に考えてもお互いに相容れない要求であった、空戦性能をよくするには、軽くなくてはならない。しかし航続力を伸ばすにはそれだけ燃料を多く重量が増えるジレンマがあった(p86)

・フランスの第5共和政の初代大統領となるドゴール将軍の日記において「シンガポールの陥落は白人植民地主義の長い歴史の終焉を意味する」と述べているように、大東亜戦争によって15世紀から始まった西欧列強の植民地支配が終焉したことで、アジア各地に独立国家が誕生し、人種平等の世界形成に大きな影響を与えた(p141)

・アメリカは1776年に独立宣言してから200年の間にアメリカ先住民から土地を奪い、アフリカから強制連行してきた黒人を奴隷にしながら、太平洋まで領土を拡大、1854年にメキシコから独立したテキサスを併合すると、翌年5月にはメキシコと戦争して、メキシコ市を陥落、48年に当時のメキシコ領の半分に当たるカリフォルニア、ニューメキシコ、アリゾナなどを割譲した、プロテスタントの国にカトリックの聖人の名前が多いのはそのため(p169)

・太平洋戦争の目的であった南方資源地域を手に入れるためには、その番犬役を務める太平洋艦隊をパールバーバーで痛めつけ、少なくともしばらく動けないようにしておく必要があった、太平洋戦争勃発の頃は、飛行機発進から洋上250カイリまでの索敵は相当難しかった、レーダができるまでの索敵は肉眼に頼っていて、索敵範囲を広げるには多数の飛行機が必要、もし250カイリ以上の地点から陸上基地を攻撃して帰投できる艦上機(零戦は常識の2倍以上の航続距離、p199)があればパールハーバ奇襲の可能性がある、当時は零戦しかその性能を持っていなかった(p173)

・零戦を設計したころは、世界中どこの国も戦闘機を厚い装甲板で防護することは、自動閉鎖タンクや他の装備を真剣に考えていなかった(p225)零戦が大活躍できたのは、防御を犠牲にしてまでも、その性能向上に地価が入れられた結果であったことを忘れてはならない(p227)

・昭和19年10月から翌年3月までの命中率(米国海軍の機密文書)は、平均39%、至近弾となって損傷を与えたものを含めると56%、4月の統計では、61%が命中、10%が至近弾、当時の雷撃と大砲の命中率が2%前後と比べて、素晴らしい結果(p248)