・現在のロシアと北朝鮮の関係は事実上の軍事同盟と言えるほど接近している、ロシアに加えて朝鮮半島からの圧力も重なり、日本は地政学的にかつてないほどの脅威に直面している、歴史上、蒙古襲来・黒船来航・に続く3番目の重大な危機と言える、西からは中国、北からはロシアと北朝鮮、さらには台湾海峡という複合的な危機が同時に迫っている(p48)
・第一次世界戦後に日本へ引き渡される以前、青島はドイツの支配下にあった、ドイツが太平洋の要衝を抑えていたのは、欧米諸国にとって海上覇権の交差点でもあった、山東半島からマーシャル諸島、ニューギニア、サモアに至るまで、ドイツは太平洋の要所を広く抑え、大英帝国、スペイン、ポルトガルと激しい勢力権争いを繰り広げていた(p64)
・ハウスホーファは、海流と気候にも注意を向け、モンスーンを地政学における重要な要素として位置づけた、モンスーンは気候を左右するだけでなく、生活・農業・経済活動、政治、歴史、宗教、風土、文化の形成にも関わってくる(p66)
・モンゴル帝国時代には、日本と雲南の銅を原料にした貨幣が鋳造されており、その比率は概ね半々だった、これは近代になるまで続いた。モンゴルが南宋を制服する際には、万里の長城を突破するのではなく、チベット高原の東縁を南下し、まず雲南を征服してから東へ転身した、雲南の銅と銀資源を確保するため。日本もまた、佐渡の金と石見の銀が広く知られていた、メキシコ銀が国際市場に出回るまで、世界経済の主要な部分は、日本と雲南の銅・銀に支えられていた、それにいち早くに気づき、戦略に組み込んだのがモンゴル帝国であった(p69)
・人口の少なかったアメリカ大陸の西海岸は、一時的にロシアの影響下にあった、しかし1840年代に入ると、ロシアは国内経済の悪化で、支配を維持できなくなり、1841年にカリフォルニアの占有権を手放しが、1867年にはアラスカも売却しアメリカ領と変わった(p72)
・地図を見るとき、どのような視点で見れば地政学的な認識が深まるか、ハウスホーファは「人口密度」の重要性を強調している(p80)
・孫文は清朝の崩壊直後の段階で、万里の長城以南だけを中華民国の領域と想定していて、満州人やモンゴル人を中華の外に置こうとした、ところが沿海地域の人口過密と資源不足が深刻化し、余剰人口の移動先として、満州・モンゴル・ウイグルが注目されるようになり、漢人の大規模な人口移動が始まった(p81)1960年代に、毛沢東も上海周辺の人口過密を解消するために、旧満州・内モンゴル・新疆への大規模な移民政策を推進した、習近平の「一帯一路」もこの構想の延長にある(p81)
・第二次世界大戦が終わると、モンゴル・満州・チベットの三地域は中国の支配下に入り、国際社会も事実上容認した、米英ソによる1945年1月のヤルタ協定であった、1945年8月11日、ソ連とモンゴル連合軍が満州に侵攻したとき、モンゴル側は内モンゴルの統合を視野に入れていたが、内モンゴルはヤルタ協定に基づいて中国に引き渡された、ソ連の要求を受け入れた、新疆についてもスターリンと米英の取引の中で、中国領とされた、チベットは50年代まで民衆抵抗が続いて当初はアメリカも支援したが、米中接近し、チベットの支援は打ち切られた(p111)
・ロシアでは1905年の革命をきっかけに動乱が始まり、17年にはロマノフ朝が崩壊、レーニン率いるボルシェビキに打倒された、清朝は12年に滅亡し、モンゴルが独立、中華民国が成立、オスマン帝国は1922年に解体され、多くの新国家が生まれた(p133)
・アヘンは中国共産党によってモンゴルに持ち込まれ、モンゴル人が依存症に陥った、それは学校で教わった歴史とはまるで異なるものであった(p162)
・2020年の衝突以降、中印対立はさらに深い地政学的な次元へと移っている、その核心にあるのが、ヤルツァンポ河およびブラマプトラ河の上流に建設が予定されている世界最大のダムである、これは地球上最大の人工構造物になる見通しである、チベット高原を源とする大河に巨大ダムを建設すれば、地球の遠心力にまで影響が及びかねないことである、大河の流れは地球の自転のバランスを保つ一種の流動的な重り、として働いている、それを遮断すれば地球の回転運動そのものに乱れが生じる恐れがある(p187)
・スターリンにとって何よりも重要だったのは、モンゴルの拡大を阻止すること、とりわけ、モンゴルとチュルク系民族が一体化することは何としても防ぐ必要があった、古代から共通の文明・文化を築いてきた、モンゴルが強大になればユーラシア遊牧民が一つにまとまる可能性が出てくる、このようなモンゴル民族の復興運動を「汎モンゴリズム」と呼ぶが、それは同時に「汎チュルクリズム」とも重なる、モンゴルとチュルクが結びつけば、ユーラシアが広域で統一されて、ソ連の社会主義思想にとって代わる恐れがあるので、スターリンは、両者は分断し分割統治しなければならないという考えであった(p196)