・17世紀までは、スウェーデンが北方勢力の代表であった、18世紀以降は、ロシアが勢力を拡大し、欧州北方に位置する大国として君臨するようになった(p87)
・アメリカの思想が第一次世界大戦後に広がってきた、それに加えて、国際秩序お面では帝国主義的な大国政治を否定し、民族自決にもどづく秩序を打ち出した、それを裏付けるのが、戦争を違法とする国際法の構造転換、さらに、集団安全保障の制度である(p93)
・バルト3国はともかく、旧ソ連から分離して独立国となった、ウクライナ・モルドバ・ベルラーシ・ジョージア・アルメニア・アゼルバイジャン・中央アジアの国々は焦点となった。2008年にブッシュ政権がウクライナ、ジョージアのNATO加盟を提案した際には、プーチン大統領はこれに猛然と怒りを表明した(p113)
・日清戦争によって朝鮮半島と台湾を清の勢力圏から切り離すことに成功した日本は、清と手を結んで欧米の大国の植民地主義に対抗するうような外交政策はなく、海洋国家として諸島部と半島に対する大陸の大国の影響を排除する外交政策に合理性を見出した(p127)
・第二次世界大戦が終結すると、ドイツではハウスホーファが戦争犯罪人としての嫌疑をかけられた、日本でも彼の地政学理論を参照しながら大東亜共栄圏を推進していた人々は、戦争犯罪人として嫌疑をかけられた(p141)
・大陸系地政学の観点から見ると、NATOの東方拡大は、ロシア勢力圏の切り崩しでしかなかった、プーチンが激怒したのは、アメリカが支援した民主化運動によってマイダン革命が起きたこと、民主化支援はアメリカから見ればロシアの勢力圏切り崩しとは異なる事柄だったであろうが、プーチンにとっては、暗黙の合意に対する裏切り行為であった。そこで、プーチンはクリミア併合と、東部地域の分離主義運動への軍事的加担を行った(p191)