・明治維新によって大きく変わったこととして、日本人が餓死の危険を感じなくなったこと、地域人口の何割が死んでも平気な徳川幕府からは解放された(p23)
・江戸時代の日本は森林を多く切って、ひどい自然破壊をする時代であった、農村部でも農地開発が広がり、はげ山が増えていった(p24)
・江戸時代の人口はずっと3000万人程度であったが、明治末年で5058万人へと増加した(p29)
・幕末維新期において、人口の多い順に、新潟(144)、兵庫(131)、愛知(122)、広島(113)、東京(109)、千葉(104)、鹿児島(93)であった、都市では、東京(83)、仙台(52)、大阪(27)、京都(22)であった(p35)
・奉行は、知事・警視総監・検事総長・裁判所長であり、正式部下である与力(上級)及び同心(現場職員)は少なかったので、私的子分(岡っ引き等)がいた(p41)
・明治元年にだされたお触れにより、火刑(火あぶり)および磔が廃止された(p51)
・婦人参政権は戦後になって行われた旧憲法下での最後の総選挙であったので、旧憲法により婦人参政権は実現された(p61)
・明治2年(1869)の版籍奉還により武士の身分が廃止されて平民と華族になってから、武士間での差別(旗本、御家人等)はなくなった(p68)
・江戸時代の将軍に馬鹿殿が多いのは、母親の質の悪さのせいか?、室町将軍は15人中7人が正室の子供、江戸将軍は家康、家光、慶喜の3人のみ(p76)
・通行手形は、武士は藩庁へ、農民は村役人や菩提寺に、町人は町役人や菩提寺に発行を依頼した(p86)
・日本人の7~8割は、秦の始皇帝時代以降に大陸から移住してきた弥生人で、残りがそれより前に移住してきた縄文人(様々な民族の総称)である(p100)
・幕末の日本人は、漢字はできるが四則計算ができない武士と、仮名程度の読み書きと簡単な計算が出来る寺子屋出身者(町人)がいたのみ(p143)
・明治政府は、旧天領や重要都市を「県」に、諸侯の支配地を「藩」、全国3000万石のうち、天領が400万石、旗本領が400万石あった(p158)
・江戸300諸侯のうち、6割近くが愛知県出身、これに岐阜・滋賀・三重・静岡を加えると7割を越す、地元出身の大名は、10家10藩のみ、それ故、武士と地元民との関係は、宗主国の白人と植民地の現地人との関係と似ている(p159、162)
・1635年(寛永12年)に武家諸法度が改定され、参勤交代は外様大名の義務、1642年には譜代大名も参勤交代するようになった、これにより正室、世子が江戸常駐となった(p165)
・文久二年の幕政改革で、大名家の江戸常駐の義務をなくして正室たちは田舎へ帰って苦労していたが、廃藩置県により東京住まいを始めた(p170)
・県の名前は県庁所在地の名前か、それが属している郡の名前、県知事の意向で変えたいものは変えた、明治政府は敗者に寛容であった(p179)
・家康は実務的権力者に高禄を与えることを避けた、高禄のものには権力を与えなかったので、賄賂が蔓延するシステムであった(p220)