・廃藩置県の実行日(1871年7月14日)には、版籍奉還を率先した長州藩(毛利)薩摩藩(島津)肥前藩(鍋島)土佐藩(山内)の知事が呼び出された後に、名古屋藩(徳川)熊本藩(細川)鳥取藩(池田)徳島藩(蜂須賀)が呼び出された(p6)
・廃藩置県において、3府41県261藩が、3府302県になり、知藩事は罷免されて旧藩地を離れて東京への転居を明示された、これにより幕藩体制は完全崩壊して中央集権国家が誕生した(p6)
・明治4年11月に3府72県に統一された後、12月には序列が発表された、東京、京都、大坂、神奈川、兵庫、長崎、新潟県の後は、関東、近畿、東海、東北、北陸、山陰、山陽、四国、九州の順(p7)
・政府の直轄地を、府・県とし、その他の大名領を藩とした、府には府知事、藩には諸侯、県には知県事を置いた(p31)
・明治元年12月(慶応4年9月8日に明治と改元)には、朝敵諸藩の25藩が処分、領地の没収高は103万石(合計:232万石)、会津(23万石)、請西(1万石)は全領地を没収、長岡藩、仙台藩、盛岡藩、庄内藩、米沢藩が大きく削減(p40)
・戊辰戦争によって藩主の威信が低下していたので、天皇権威による身分保証がされた版籍奉還は藩主にとって魅力的であった(p62)
・明治維新が諸務変革令を出したときに含まてい重要なものとして、1)家老以下の藩士をすべて士族とした、2)知藩事の家禄を歳入の1割とした(=家禄と藩政の分離)こと(p79)
・版籍奉還により、藩主の領有権が否認されて、藩が府県とおなじ地方行政単位となって府藩県三治体制が制度的に確立した(p84)
・明治3年の諸藩の借金(藩債と藩札の合計)の平均は、収入の3倍、小藩(5万石未満)は3.5倍と財政は窮迫していた(p86)
・藩名を廃して州、郡、県を置いた、15万石以上の藩は州、5万石以上の藩は郡、2万石以上は県、それ以下は統廃合するという「建国策」があった(p125)
・知藩事は租税を全て中央政府に奪われたが、廃藩と同時に、藩内で流通していた藩札をそのときの相場で政府貨幣と交換することが布告されたので、借金から解放されつつ家禄は保証された(p167)
・旧藩名がそのまま県名につけられたのは、鹿児島、山口、高知、佐賀をふくめ、山形、静岡、宇都宮、秋田、和歌山、広島、岡山、鳥取、福岡の13県(72県中)である(p204)
・府藩県は、明治1年閏4月の、10府23県277藩に始まり、廃藩置県(3府302県1使)、県治条例(3府72県1使)を経て、明治21年には3府43県1道となった(p209)